「今」に縛られる

すべてを「今」に還元し、それを至上とするのは整合性はあるかもしれないが、実に閉鎖的である。

計画も予測も「今」だと並置した上で、それが何かを変えるものとして描写されや方が面白い。

単一の原理の限界

結局のところ、単一の原理性で動いていないものを単一の原理で扱おうとするから無理が出てくる。

完全さという幻想と幻滅

完全さという幻想を勝手に立ち上げて、勝手に幻滅していく、というよくある流れ。

それが自分が立ち上げた幻想だと理解した上で楽しむなら副作用は小さいだろうけれども。

リニアに対置されるもの

リニアは"直線"なわけだが、“単線"と捉えることもできるだろう。すると対置できるのは線の性質を見た場合の曲線的とか離散的とかに加えて、複線的というのもあるか。

論点のない会話

喫茶店などで耳にする会話を聞いていて思うのは、一般的な会話には論点というものがそもそも存在しないということ。

卓球やテニス的なラリーではなく、むしろリズムゲームなのかもしれない。

変えられるバイアス

経験や習慣に基づいたバイアスに関しては、経験や習慣を変化させることで変えていけるのではないか。

原稿頭

「原稿の書き方」がよくフォーカスされるわけだが、「原稿頭の作り方」みたいなのがそれより前に大切な気がしている。

「頭」には「モード」とルビを振ってもいい。

カード化の意義

カード化は、情報を独立的に扱えるようにするための処理ではあるが、単独で扱うための処理ではない。むしろ逆である。

コードと仲よくなる

細かいリファクタリングを繰り返していると、自分が書いたコードと仲良くなれる感覚がある。

意図でない結果

創発的結果。結果としてそうなったこと。

利他もおそらくこういうものだろう。

自己統治

偏った自己統治の結果、統治されやすい対象となる。

自己を統治しようと、自己を編集すれば、それは他者から統治されやすい存在になる。

道具は複数の役割を担う

クリストファー・アレグザンダーが場所について語ったのと同じように、ツール/道具はただ一つの役割だけを担っているのではない。自然とそれは複数の役割を担うようになる。安易な図式化はそれを壊してしまう。

ツリーとファイル構造

ツリー構造+ファイルという構成だと、すごく小さな単位で情報をまとめるのが億劫になる。アウトライナーはファイル名の名付けを取っ払っているのでその点が楽。一方で、ツリー構造の方を取っ払えば小さい単位で情報をまとめることもできる。ただし検索とリンクなどのアクセスルートが必要。

考え続けることをサポートするツール

一週間から二週間くらいある問題について考え続けていると(だいたいは忘れていることも多い)、ふいにポンと解決への道のりが照らされることがある。しかも、当初イメージしていたのとは違ったレイヤーでの解決が。

このようなプロセスをサポートする「ノートツール」を自分は欲しているのだろう。

“win-win"の傲慢さ

言うまでもなく、“win-win"の傲慢さは、相手にとってのwinを勝手に決めている点にある。

前提をすり合わせる必要性の前提

「前提をすり合わせる」行為を起こすためには、まず「前提が違っている可能性がある」というイメージが必要だろう。

“異文化交流"的なものは、言葉の違い以前の違いがあるだろうし、それは結局どんな人間にもあるのだろうけども、村社会的な状態では隠蔽され続けてきたものでもあろう。

状態に間を作る

「できる/できない」や「うまくいく/うまくいかない」を二つの状態だけで捉えるのではなく、その間を設けること。そしてそこに矢印を作り出そうとすること。

書く場所を変える

ちょっと記事用のメモだけ作るか〜というときはWorkFlowyなのだけども、ちょこちょこ書き足していくうちに何かしらのスイッチが入ると、そこからはテキストエディタで作業したい感じになる。アウトライナーが機能不足とかではなく、僕が認識している「書く場所」に移りたくなる、という感じ。

感覚的に言えば「固めたい」という感じかもしれない。中程度の枠組みはもう動かさないという切断を欲しているというか。

正当化と承認の差異

正当化と承認の差異 | R-style

「型」を壊すのは外部からでも可能だが、「型」を破るのは一度内部に入る必要がある。

では、そのときの「型」とは何か、というところから話は始まるだろう。

具体性からの逃避

抽象化が、具体性からの逃避になっていることがある。

見えないものとして働くもの

内在的な審級や規範は、盲信しているというよりは、それは見えないものとして働くと捉えるのがよいだろう。オブジェクトになっていないので、正しいかどうかを問うトリガーがそもそも存在していない。