課題解決と探求の差異

「課題解決」は、ともかく課題が解決できればいいとする。

一方で探求は、解決したとしてもなぜそうなったのかを考えるので立ち止まることがない。逆に、解決できなかったとしても、なぜそうなのかを考える。

「問題を解決した」というタームだけを切りとってみれば二つに違いはないが、尺を長くとればやはり違いが生まれる。

問いがなければ知的生産はない

“頭を働かせて、何か新しい情報を生み出す"ときに、問いが必要だとするならば、「問いがなければ知的生産はない」と言えるだろう。

リストを作ろう、気が済むまで

Make a list, until you feel like it.

cultivate

「テックでハックだ!」といっても、それがたんにアプリを使わされているだけならば、何もcultivateしてはいないのだろう。

モブ的無責任

ノブレスオプリージュは、力あるもの(高貴なるもの)の責任だ。この構図をひっくり返せば、「力なきものの無責任」という思想に展開してしまうのではないか。

全体の枠組みを与えるもの

TRPGのルールとノートツール(あるいはメソッド)は似ている。細かい内容はさておき、おおまかにそこで行われることがどんなものなのかを既定する。

超越論敵主体と経験論敵主体

目標に対して適切な計画を立てられるという前提は超越論的な主体が感じられる。対比すると、タスクシュート的なログをベースにするアプローチは、経験論的と言えるだろう。

心に自前のごみ処理施設を持つ

不要なものは、自分で燃やしてしまう。アウトソーシングが多いと、なかなか大変。

アバターの位置づけ

アバター的なものが「もうひとりの自分」なのか「ほんとうの自分」なのかで、意味合いがかなり変わってきそうな気もする。

情報の多重参照

単一の情報ツールにまとめたとき、そのツールが簡単に二つ以上の情報を開くことができないならば、結局は面倒なことになる。情報の参照は行ったりきたりすることが多いから。

相手の考えとの対峙

「その考えは間違っている」と「それとは違う考えを私は持っています」は、似ているようでも印象はずいぶん違いますね。

メタ考える

自分側何かしらの考えを持っているとして、その考えが状況Aでどうならのか状況Bなら状況Cならと検討するのが「メタ考える」と言えるだろう。

メールボックス

メールの受信箱とは、APIを公開しているリマインダーである、と捉えられる。

知的生産の技術の体系化

知的生産の工程は人それぞれであり同じ人によっても違ってくる。その意味でそれらを体系立ててまとめることはできないし、すべきでもないだろう。一方で、実践において直面する問題/課題は多種多様であり、そうであるからこそ自分が抱えている問題への対策が他人の工夫から見えてくることがある。

もし何かしらのまとめを作るとしたら、その観点からになるだろうし、そうであれば方向性が逆の(つまり矛盾する)ものを扱えるようになる。

相反するものが含まれてないなら、ハリボテか嘘っぱちである。

どんなリストを作るのか

「どんなリストを作るのか」は、形状や内容に加えて、位置やどんなタイミングで表示されるのかも関わってくる。

カード+アウトライナー = ?

一枚のカードの中身がアウトライナーになっていて、それを複数並べられたらどうなるだろうか。

あるいは、何か別の捉え方はあるだろうか。

異なるデータ構造から、同一のビューを立ち上げたらどうなるだろうか。

安全地帯から出る

たとえば「ガンダムってなんなの?」という問いに「ガンダムはガンダムだ」と答えたら何も間違いは含まれていないが何か言ったことにはなっていない。逆に言えば、何かを言うとはこの安全地帯から一歩踏み出すことだ。

仕事の違い

自分にとって「原稿を書く」は「何かを伝えようとするために」の下位に位置付けられるので。マス目を埋めたらOKとはならない。これだけのことでも話が噛み合わないことがある。

仕事の定義が違うなら、そこから立ち上がる仕事術も当然異なってくる。

慣れていないと増やしすぎるもの

調味料、形容詞、色、要素、ルール、分類、……

贅識

贅肉ならぬ贅識みたいなのってありそうだ。増えすぎると「動き」が鈍くなってしまうもの。