権力とリベラル

権力の勾配を均そうというのではなく、自分たちに傾けようとしているなら、反権力ではなくシン権力だろう。

少なくともそれはリベラルではないだろう。その人たちが擁護しているものの至上主義だ。至上主義であるから、対象が誤謬を持つことは認識されない(したら破綻する)。無謬で瑕疵がないことになるし、もしそれがあるならその対象以外の責任となる。

自身がその対象に含まれる場合は、無敵になるだろう。

作りはじめると暇がなくなる

作ることに取り組み始めたら、暇はなくなる。不善をなす暇も。

テクノスフィア

テクノロジー・カルチャーの言い換えという話が以前でたが、たとえば「テクノスフィア」という言い方はどうだろうか。

テクノロジーとの関係性を書き換える

テクノロジー・カルチャー(テクノカルチャー)についてのナラティブを書き換える。たぶん、そういう仕事が必要。

自立共生的な道具

イリイチの「自立共生的な道具」の観点から言えば、情報ツールを自分で作れることは有用であるばかりか、必須ですらあるだろう。もちろん「作れる」には程度があるにせよ。

できる感覚を広げる

非現実な高い目標を現実的だと考えて実行し徐々にそれを切り下げていくのは精神的しんどいものがあるので、こんなん誰だってできるっしょと笑いたくなるくらい低い目標から始めて少しずつ「できる感覚」を広げていくのがメンタル的によろしいように思う。

自分ができることを少しずつ増やしていく、あるいは変化させていく、ということ以外の戦略はだいたい飛躍的になりがち。

愚かさの自覚の代償

愚かさの自覚に傷みが伴うなら、痛みを拒絶する姿勢は何を生むか。

タイトルだけを見る

改めてアウトライナーの「閉じる」という機能がよくできているな、と感心しているところ。

情報カードをカードボックスに並べると、二枚目以降はタイトル欄しかぱらぱらと閲覧できない、というのに似ている。

ツール・フロー・プロセス

ツール・フロー・プロセスの関係図を捉えておくこと。それぞれを断片的ではなく、関連的に。

知覚と本質

バレット表示の有無は本質的な事柄ではない。しかし、人間の知覚は「本質」とはあまり関係がない。

天動説の軌道計算

最初に掲げた主張を曲げないために、個々の論点がしっちゃかめっちゃかになっていること。

シビュラド・ソサエイティ

シビュラの信託下で、安全で清潔で無関心で排他的で、そのことに無自覚な社会が作られる。

I/O比

知的生活に単純な効率性を求めると、インプット:アウトプットの比率が悲惨なことになっていきますね。

健全なもの

相反するようだが、健全なものは続くし終わる。

いかに書かないか

書くことは、いかに書かないか、ということでもある。

汎用と多目的の差異

この二つには差異があると思う。何がどう違うだろうか。

模倣と二番煎じの差異

この二つにも差異があると思う。何がどう違うだろうか。

ことによって学ぶ

  • learning by doing.
  • learning by teaching.

意識されない欲望

「宣伝したくないけど、売れたい」という意識されない欲望は業が深い。

Don’t worry.Write!

という標語を考えた。Tシャツでも作ろう。

過剰なカウンター

何かしらの状況に対してバランスをとる(カウンターを当てる)ことに有効なことでも、それだけになってしまったら今度はそれがバランスを崩してしまう。

断片的な状況

認知やエネルギーのフラグメント化、というのがネットが身近になって起きたことだろう。それにより「大きな仕事」が困難になる。

あと、実際に自分で何かをすることと、それについての情報を得ることのバランスがかなり情報寄りになってしまう。手を動かすことが減っていく。

結果的に「腹にたまる」満足感が落ち込んでしまう。

似た話で、経験の量に比べてノウハウの知識が多くなると、バランス的によろしくない気がする。

そういう意味での、「いったんバカになって作る」は有用だろう。

心の声との付き合い方

書くときに湧き上がってくる心の声とどう付きあうか。たぶんいろいろな話の手前にある事柄だろう。