速度の重要性

速度というのは恐ろしく重要なファクターで、質を変化させてしまう。

採算のことを考える

個人事業主でも経営者なわけで、採算が合うことをする、あるいは採算が合うようにする、は大切だろう。一方で、採算が合うことしかしない、というのはそれはそれでヤバさがある。

強い構造の弊害

強い構造は作らない方がよい。その構造によって、自分そのものが規定されるようになる。

言い換えれば、対象を完全支配しようとすれば、自分もその対象に支配されてしまう。

哲学の門前と観光客の哲学

「哲学の門前」という考え方と観光客の哲学を接合できるのかもしれない。

門の中は、境界線のどちら側か?

門の前をうろうろせざるを得ない人間たちができること。

ノードとしてのノート

ノートをノードとして捉えたら、カードになる。

「わかる」の構え

「わかる」の構えは、ときに「自分が知っていることにその対象をはめ込む」という結果を起こすので注意が必要ですね。

原初の擬人化

擬人化というが、人そのものが原初のその対象なのだろう。

ノートツールとしてのScrapbox

自分にとってScrapboxは、メモの書き場所ではないし、Webクリッパーでもないので、ページ増加のスピードはそれほど速くない。しかし、ノートツールであれば、それくらいが自然であろう。

関連する本の話

本の話をするときに、その本そのものだけでなく、関連する本の話にけっこう関心を向けることが多い。

たぶんそれは、本をどのように捉えているのかを示しているのだろう。

自由な方が進めやすい

「自由な方が進めやすい」という言い方は注意する必要がある。無際限の選択肢がそこあることではなく、むしろ「自分のやり方」という固定的な手段を選択しているだけかもしれない。

アウトライン形式

アウトライン形式はとても自由で、それはアウトライン以上のものである。言い換えれば、アウトラインでないものもアウトライン形式で表すことができる。

もちろんこれは、アウトライン形式で表されたものをアウトラインと呼ぶ、というのとは違った視座での話である。

パターンの発見と経験

よく似たもの(でも少し違ったもの)をたくさん見ればパターンが掴め、次に似たものをみたらすぐにそのパターンだと気がつく。ただひとつだけを見てもそれだと明瞭にわかる。そのとき、過去たくさんの例を見てきたからわかるようになった、ということが見過ごされる。経験が過小評価されてしまう。

「AはどうみたってXじゃん。なんでわからないの」という感じがするのだが、Aしかみたことがない人にはやっぱりわからないのだ。

アウトラインの時間制

手帳の中で、今日の日付を境に予定が実績に上書きされていく。しかし、アウトラインは同じようにはならない。未来のアウトラインが、そのまま成果となるわけではない。その性質が単純な管理を拒んでいる。

決定論的思考

問題を提起するための決定論とは別に、決定論的思考みたいなのがあって、それはかなり強固なカテゴリーを脳内に形成する。

タスク管理における指向性

プログラミングのオブジェクト指向みたいに、タスク管理も主に注目しているものによって〜〜指向といくつか分類をしておくと、話の見通しが付きやすいかもしれない。

二種類の流れ

縦にまっすぐ進む仕組みと、循環する仕組み。両方とも「流れ」と表現できるのがたぶんややこしい。

教師の役割

「反面教師も教師」というのはまさにそうで、なんであれ道行きを提示してくれる。何もモデルがないのは非常な困難である。

思考の歪みと問いの重要性

逆に言えるかもしれません。僕たちのヒューリスティックによって問いが歪んでしまうからこそ、考えるためには問いが大切なのだ、と。

https://twitter.com/do_mailman/status/1584063320025272320

考えるためには問いが大切だが、難しい問いはだいたいヒューリスティックによって簡単な問いに変換される

メタ思考の多義性

「自分が考えていることについて考える」ということ。あるいは、その多義性。

考えているその内容についてさらに考える、ということと、自分が考えているという、その現象について考えること。

スタートは愚かさの理解から

なんにせよ、自分の無能さや愚かさに気がついてからがスタートだ、みたいな側面がある。

間違いと学び

間違いが奪われた世界で、人は何かを学べるか。

セルフ・スタディーズ

セルフ・スタディーズは、セルフ・カルチャーへの理解であり、セルフ・コミュニケーションの補助にもなる。