ゴルディロスな本

ゴルディロスな本とは、ちょっと難しい本だったり、ちょっとわからないところかあったりする本なのだろう。

それは、閉じていないということでもある。

わかった気持ちと腹落ちの違い

何かしらを読んだあとに、なるほどとかわかったという気がしてもそれは理解の入り口にすぎない。実際その状況で「腹落ちした」という表現は使われないだろう。腹落ちした感覚とは、言葉通り身体的な理解に至ったということで、それは自分の既存の理解にそれが位置づけられたことを意味する。

仕事と締め切り

「仕事は与えられた時間を満たすように拡大していく」というパーキンソンの法則下で、締め切りが存在しない場合、仕事は無限大に膨らみ、やがてブラックホールと化しさまざまなものを飲み込んでいく。

モラルと美意識

モラルと美意識は、存外通底しているのだろうか。かっこ悪いから、やらない、という姿勢。

クリエイトとの距離

クリエイティブ、いやクリエイトとの距離感をどれだけ変えているか。ユーズではなくクリエイト。

書いた分の責

ブログ記事などで匂わせる非難(自分で断言はしないがそうとしか読めない文言)を見かけるがあれは結構ダサい。たぶん、同じことはプラス方面でも言えるのだろう。書いたら、その分の責は負いたいところ。

アドバイスは快

他者の弱さや痛みに寄り添うことなく解決を押しつけても、なんにもならない。

アドバイスや助言は快である、ということを気に留めておいた方がよい。

細かくは違っている人間

人間は大雑把に見ればだいたい同じだが、細かく見ればそれぞれに違っている。能力も環境も立場も資源も欲望も痛みも喜びも違っている。その総体としての「生きる」もまた違っている。ある物差しが別のものを適切に測れるとは限らない。

人が持つ幻想

無謬性、中立性、一貫性、という幻想。

抽象は外部足場を借りて

ちょっとしたことであっても、ロジック/アルゴリズム考えるときは、書いておくと捗る。それくらい、脳単体では抽象的な思考がハードなのだと感じる。

そばにいること

生物としての人間が物理的に近くにいる、ということではなく、人がそばにいて、その人が自分のことを人として扱ってくれているときに人間性なるものが回復するのではないだろうか。

言い換えれば、関係性の中でしか回復しないものがある。

ロールモデルの不在はなぜか

何者にもなれない「中年おじさん」が苦しむ呪縛 | 家庭 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

思うのだけども、「何者にもなれない」というこのフレーズ自体が、問題を象徴しているとは思う。でもって、それは「自立した個」というコンセプトとも響きあっているだろう。

ロールモデルの不在があるのはたしかだが、「なぜそうしたロールモデルが存在していないのか」という観点こそが必要だろう。

多忙競争ゲーム

どちらがより多忙かで戦う多忙カードゲームを作ってみたい

https://twitter.com/shotichin/status/1582518775760711681

これは作れそう。

手札があり、毎ターン山札から一枚引いて、一枚捨てる。手札のカードだけ場に出すことができる。場に出した「忙しさ」の合計点で競う。しかし、自分の捨てたカードにも効果があって、それが「人生の満足感」に影響を与える、というようなゲームデザイン。

あるいは、勝利条件が二種類あってもいい。

二つの人間関係

ある程度ソリッドな人間関係と、ある程度リキッドな人間関係の二つがあると、複雑な人生に対応しやすいのではないか。n個の原理である。

変化を生む選択肢

何かしらに問題があるにせよ、特定の個人を糾弾したり、性急な革命を欲したりするのではなく、システムに影響を与えられる変化を徐々に求めていく、という選択肢は持っておきたい。

情報社会と記号社会

情報社会というものが資本主義に引っ張られることで記号社会と化すことに問題があるのかもしれない。

明日以降の自分を動かす

最低限この機能まで実装しておけば、明日以降の自分が使っているうちに不便を感じて続きの機能も実装するだろう、というラインまでは実装しておく。

デジタルで情報カードを作るなら

いろいろな運用はできるとは言え、いわゆる「情報カード」的に自分の考えを一枚ごとに記していく使い方ならば、Scrapboxは最高の体験ではあると思う。