私淑と盲信

私淑と盲信に差異はあるのだろうか。

権威至上主義みたいなものを崩さないで、単にあの人の知性はすごいから正しいのだ、という価値観にスライドしているだけ、ということがあるのだろう。信用と信頼の差異に絡めて考えてもいい。

概念の鍛冶職人

個人的にそういうあり方に憧れるかもしれない。単純に「作る」というよりは、「鍛える」という感覚。

集合とピックアップ

「情報が分散せずにまとまっている」と「目的の情報がぱっと取り出せる」をどこまで統一的に実現できるか。

情報が一ヶ所に集まれば集まるほど、目的の情報を取り出すのに時間がかかるようになる。これはトレードオフとして存在してしまう。

そのために階層化などの分類が用いられる。しかし、その階層を維持するのに大きな手間がかかる。別の手法で解決はできないか。

たとえば、プログラミングのモジュールの考え方、あるいは結合度と凝集度の考え方は何か参考にできないだろうか。

後から整理すればいい

アウトライナーで「プロジェクトのやることを洗い出そう」と思ったときに、どこにそれを書きはじめるのか悩むことがあるかもしれないが、別にどこに書いてもいい、というのがアウトライナーの強みである。別の箇所に関連情報があったとしても、書きはじめる地点は別で構わない。後から整理すればいい。

この「後から変えたらいいから、今は分類/構造のことは気にしない」という感覚がアウトライナーと仲よくなる際の胆であろう。

言い表したい気持ち

僕は「独学」という言葉の響きよりは「知的生産」という響きに惹かれるところがある。それはやはり言い表すこと(≒表現)が前提として含まれているどうかの違いだろう。むろん「生産」という言葉で本当によいのか、という疑義はあるにせよ。

KCQトライアングル

KCQトライアングル - 倉下忠憲の発想工房

クイズ化する知識

知識というものが唯一の正解にたどり着くための道具と化してしまっている状況があるのではないか。

学校の試験やクイズなどは、文脈を巧妙に調整することでただ一つの答えに定まるようになっているが、その特殊な状態を一般だと勘違いしてしまっている。

そして、正解を知っている自分はそれを知らない他者よりも優れている、という認識を生んでしまう。そこに得点的な数直線的価値評価がからむとますます他人を見下すようになる。

比較のつらさ

具体的な何かとの比較もなかなかツラいときがあるが、ありもしないものとの比較はまず惨めな結果が待っている。

「変」の評価

「それって変ですね」は若干ネガティブなニュアンスがあるかもしれないが、「変わってますね」はわりと褒め言葉な感じがする。

日々から学ぶ

そういえば、近くに老人がいないときどうやって人は老いることを学ぶのだろうか。

これはいろいろなことに広げていえそう。独自に学ぶことをする人が近くにいないとき、文学や芸術に親しむ人が近くにいないとき、どうやってそれを学ぶのだろうか。

関係的ノウハウ

体系的でもない、断片的でもないノウハウ書。強いていえば関係的なもの。

インストとコンスト

インストラクトとコンストラクト。内側に立てるものと、外側に立てるもの。

であれば、デコンストラクションとデインストラクションという対比は可能だろうか。

個人主義と主人公症候群

個人主義が強まれば強まるほど「主人公でなければならない」という感覚は強まるだろう。同時に「モブなんかにはなっていられない」という見下しの気持ちも強まるだろう。

言説の方向性

それが必要なときはあろうと思いつつ、間違いを正そうとする姿勢の言説は基本的につまらないものになりがちだな、と感じる。価値の評価軸を豊かにする言説が好ましい。

精知

精肉や精華といった言い方と同じで精知というものが考えられないだろうか。生鮮(フレッシュ)な知識のこと。

有限の人生での生き方

「人生の時間は限られている」というフレームのみが提示されるなら、ファストなコンテンツ摂取への圧を生むだけだろう。

ゲームの作り方

「どうせ搾取される構図からは逃れられないのでその中で一番得できるように振る舞おう」というのは非常に小さいゲームの作り方だと思う。

文化と生命

余剰のエネルギーを外に向けて放射する。つまりは表現。それは単純な意味では生命活動の維持には必要ない。文化というのはそういうところから立ち上がる。

生きることと創作

日常的なコミュニケーションから生き方に至るまで、それらは表現だしつまりは創作なのだろう。

文章を構成するもの

ライン(行)の次の次元は面。するとツイート一つは点と言える。しかし、立体を作ってもそれは文章にはならない。

次元が上がっていくのはたぶん概念だろう。

オタクはいろいろ好き

オタクが一番好きな作品を聞かれたときにうまく答えられないというのは、なかなか示唆的である。

反広告レジスタンス

ある商品の広告が目に入るたびに、それと同一カテゴリーの別商品を話題にする、という反広告レジスタンス。

教育の「コスパ」

ある期間に教えられる知識の量には限界があるのだから、自分で学ぶための基礎を作る方が有効性は高いだろう。