開かれた活動、飽くなき趣味

学び、作り、育てる。こうした活動は、自分に閉じず、他者や物に向かって開かれた性質を持つ。だからこそ、飽きることなく続けていける。

やりとり

やりとりは、遣るだけでは成立せず、取るがあってはじめて完成する。文章もそれを読む人がいてはじめて、というところがある。

完全な文章というものがありそれを正しく読解できる人がいる、というのではなく、文章と読者の呼吸がうまく合致したときに適切に意図が伝わる、くらいに考えた方がよいだろう。

おそらく物事を自己完結的に捉えようとすればするほど、苦しみは深まっていく。

エージェンシーが重要だとしても、それを極めてしまっては逆効果。生半可なエージェンシーでよい。あるいは開かれたエージェンシー。

ゴルディロックスな情報の速度

思考の速度と対応する、情報の流れるちょうどよい速度があるのだろう。

理屈としては正しい

理屈としては正しいけれども、制約が見えていない、ということはよくある。

図解の効能

図解してもらえると非常によくわかった気持ちになれるのだけども、それはパソコンで言うとフォルダができた状態のようなもので、中身はそこから詰めていかなければならない。

生産以外の言葉

そろそろ知的生産の「生産」にかわる言葉を考えるタイミングがやってきたようだ。

クリエイティブの審級

知識がないと、比較する対象を持たないから、どんなチープなアイデアもクリエイティブに感じられる。

二つのアウトラインは異なる

構想のアウトラインと原稿のアウトライン。

検索と質問

普通に検索した方が好ましい場合と、ChatGPTさんに聞いた方が好ましい場合がありそう。それを見分ける力が検索力2.0といえるだろう。

観念の中にしかない純粋なもの

純善なものは人間の観念の中にしか存在しないだろうし、そもそも純hogeなものがそうかもしれない。

ノウハウの余白

閉じた回路の中で精緻に組み上げられたノウハウは、読者が参加する余白を持たない。

赦しについて

無視することと赦すことは違うだろうが、もしかしたら「無視」という言葉で赦しがパッケージされているのかもしれない。

赦しはロジカルなものではない(ロジカルなら赦しとは言わない)。だとすれば、赦しはある種のクリエイティブなのかもしれない。それを赦すという新たな自分の創造、ないしは新しい条理の創造。そこには当然生みの苦しみがついて回る。

押すだけファイリング

デジタルによって、「押出さないファイリング」あるいは「押すだけファイリング」ができるようになった、と言えるだろう。

「ちょっと違うのではないか」

「それはちょっと違うのではないか」という思いですら抑制されているというかある種の洗練があって、それがないと「間違っている」という否定の入り込む余地がない「思い」が生まれがち、ということだろう。

人間はその直情的な思いに「いや、いや、まてまて」をぶつけて綱引きを生むことができる。それが葛藤やためらいを発生させる。その二重性(あるいは多重性)がこころの働きであろう。

多様性を保持するためにできること

多様性というのは結果として保持されるものであろう。少なくとも「多様になろう」という一斉の号令の元で作られるものではない。言い換えれば、そのシステムのアウトプットを直接どうこうするのではなく、そのルールに働きかける。

ビジネスという言葉

「ビジネス書」とは言うけども「仕事書」とは言わない、つまり「ビジネス」という表現には特殊な含意があるということだろう。

人は社会的な動物

これだけ個性・個人が叫ばれるからこそ、集団的な行為が求められるのだろう。

本を読む人が孤独に耐えられるように見えるのは、(本を通して)その背後にたくさんの人を感じられているからだろう。

私淑と盲信

私淑と盲信に差異はあるのだろうか。

権威至上主義みたいなものを崩さないで、単にあの人の知性はすごいから正しいのだ、という価値観にスライドしているだけ、ということがあるのだろう。信用と信頼の差異に絡めて考えてもいい。

信念と妄執も簡単に見分けがつくとは限らない。

偶発的な出来事がその人の「正しさ」を証明してしまった場合、だいたいやっかいなことになる。

自分に対するレッテル

「何者感」の不足に対して即効性のある答えを提示してくれる人は需要があるだろうけども、それって結局自分にレッテル貼りしているだけだから、その皺寄せが後からやってくる。

自分が本当にやりたいこと

「本当にやりたいこと」って、それ自身を探そうとしてもたぶん見つからないというかむしろ「本当にやりたいこと」というものが見つかってしまう気がする。

やりたいことがわからないなら、それをそのまま漂わせておけばいい。焦ってそれを見つけようとしたらファスト的なものに手を伸ばさざるをえなくなる。結果的にファストなセルフが立ち上がる。むしろ自分を散策するような時間こそが必要だろう。