哲学というワクチン

実存的危機に直面したときに必要なのは答えではなく考える方法だろう。その意味で哲学的なものへの親しみはワクチン的と言える。

そこにあるニーズ

いわゆるビジネス書は呼んだ直後モチベーションは高まるが内容的にあまり役に立たない一種の栄養ドリンク的なものだ、みたいな評価があるわけだが、しかしその栄養ドリンク的なものが求められている、という状況そのものを考えないといけない。

「ビジネス教養」も同じで、その軽さをバカにするのは簡単だけども、そこに切実なニーズがあるのだとしたら、それは何なのかを向き合う必要がある。

実用主義的伝統主義

長く続いているものを大切にする、というと伝統主義のようだが、続いているのはそこに適応的な機能があるからだ(しかし現時点の自分にはそれが理解できていない可能性がある)、とするならばこれは実用主義であろう。

精神論

精神論というが、心構えがただ語られることと誰かが何かを強く信じていることにはかなりの距離があるように思う。

心理的な傾向のタイプ

心理的な傾向として、没頭タイプと傍観タイプみたいなものはあるかもしれない。

利便性

有り余る利便性は、割り切れないものを割り切れたことにする処理によって実現される。

自分の人生を取り戻す

「何歳でも、自分の人生を取り戻すことはできるか」という問いがあるとして、それにどう答えるか。

交友の広さ

著名人もそうでない人も同じ人間なんだけど、たぶん交友の広さの違いがあってその影響は大きい。でも、交友の広さは著名人にならなくても得られる。

多分ネット弁慶的なものの不安定さはその辺が関係しているのではないか。

必要なのはそんな大それたものではないのだろう。でも、内にこもっているのではなかなか手にできないものでもあるのだろう。

何かをなす上で関係性を築く必要はかなり低くなった。逆に言えば、昔は何かをなそうとするとき必然的に関係性の構築が必要だった。それは煩わしさでもあったわけだが、そればかりでもなかったのだろう。

自分の仕事

「自分の仕事」をすることは大切で、だからこそ他人の仕事にも関心を払っておきたい。

『21世紀のモブ的幸福論』

自らのモブ性を受け入れ、そこに人生の彩りを見るとき、世界は一変する。

生活の中にある思考

問題がたくさんあったときに、うまく考える方法を求めるのか、答えを直接求めるのかは、かなり違いがあるだろう。コスパなら断然後者だが、実際的には前者が良さそう。

ここで言う「うまく考える方法」は、hogehoge思考法とかではなく、もっとプリミティブなやつ。

教養高いコンテンツとしてではなく、生活の技術としてそういう方法が伝えられて欲しい。

流行に合わせるなら『ズルい考え方』などといったキャッチーなタイトルになるだろう。

たとえば、「ともかく自分には瑕疵がなく、自分の要望が叶えられるのは当然で、十全にそうなっていない状況に対して怒りを表明する正当な権利がある」、という考え方だと、生活がすごく疲れに満ちる気がする。成功法とか自己啓発のはるか手前にある生活の技術として、その考え方を変えていく。

『生活の中にある思考』とかでもいいな。

答え至上主義

「答え」があればそれでいいという答え至上主義では、過程や経過は軽んじられる。つまり、考えることや試すことの価値は消失する。言い換えれば、「余計なこと」になる。きわめて直接的な世界で、変更可能性があらかじめ封じられている。

過程があって作られることを知っているからこそ、別の仕方で作りえることが想像できる。たとえば、何かしらのルールがあったときに、それを盲信するのではなく、まったく無視するのでもない、ルールについての検討が可能になる。

パフォーマンスとバリュー

コスパを意識すると、コストに注意が奪われる。タイパでは時間に注意が奪われる。問題は、そこに注意を向けたいと思っているのかどうかだろう。

大切なのは、たぶん価値(バリュー)で、その代替としてそうした指標が使われるのだろうけども、得たいものを得られているのかは少し考えたい。

「価値」は計算できる、という考え方は功利主義の延長であるだろうか。