思考のOS

うちあわせCastで、もしTak.さんとの共同連載を次にやるなら、という話題が出てきていたけども「思考のOSについて」なら面白いかもしれない。

「思考のOS」とは何か、という話ができるし、そのためのツールとして何を選び、どのように使うのか、という話もできる。

シェイク

「シェイク」は、トップダウンとボトムアップの観点から語られることが多いが、ズームインとズームアウトの観点も重要である。

視野を狭めること。視野を広げること。それをアウトライナーの操作を通して行う。

否定するだけの行為

他者を妬む行為が自分のアイデンティティに癒着してしまうと、自家中毒みたいなことになってしまうのだろう。

否定するだけの行為は、価値を見出したり生み出したりしない。欠落を埋めることができず、「そこに穴がある」というだけにとどまる。否定することがあっても良いが、しかし並行して作れること(=肯定すること)も行いたい。

何もかもが同じに見えるなら

認識が雑なら何もかもが同じに見える。であれば、何もかもが同じに見えるなら自分の認識が雑なのではないか、と疑うことは益があるだろう。

UIの力

そういえばUIの力とはすごいもので、Scrapboxのwatch listが自分のproject listと切り分けられてから、他の人のScrapboxを見て回る頻度が劇的に減った。

二つのカード法

ちなみに、Zettelkastenと京大式カード法は共通点が多いですが、違いもあります。特にカードをどう「置く」のかについては思想性が異なりますね。

「カード」を使って行われる情報整理術は、それぞれに違いがあるんだけど、結構ごっちゃにされている。

それを明確にするものを書くとして、それをどのように位置づけるのか。

仕事のやり方とビジョン

いろいろな仕事のやり方がある。他の人の仕事を整理し体系立ててまとめたり、自分なりの体型を作ったり。何が正解かはわからない。できることをやっていくしかない。それでも、ビジョンむたいなものは持っておきたい。

インプット

「知る」だとインプットに近しいと言えるかもしれないが、「読む」はそう単純には言えないだろう。

反証・反論をすべて遮断しているから、トンデモ世界に浸るのはたぶんすごくラクで楽しいことなのだろう。だからこそ、のっぺりとしてしまう。苦味も雑味もない。

時間の感覚

線形な時間感覚では物事は真っ直ぐに進む。しかし物事は巡るのだ。回り回ってその場所へと帰ってくる。

日時計は円環だし、それより後に作られた時計も円形だろう。時間の直線感覚はいつ頃生じたのだろうか。

行為の奥行き

面白さと辛さ。楽しさと怖さ。それぞれ両方を知ってこそ、その行為の奥行きが出てくる。

準備をする

計画は立てるが、準備をしない。あるいは準備と立案を混同している。それではうまくいく確率は上げられないだろう。

ノウハウの評価軸

何かがやりやすくなっているか、何かの楽しさや充実感が増しているか。ノウハウはそうした視点で評価できるだろう。

二つのエンジン

何かを加えることと何かを捨てること。二つのエンジンを持つ。

語り

語りが重要なのだとして、そもそも私たちはなぜ語ろうとするのか。

覚悟

門をくぐるのに必要なのは、資格よりまず覚悟なのだろう。

難しさ

難しい話にならないならそれにこしたことはないが、難しいものはやっぱり難しいのである。

無知の力

ビッグ・ブラザーの「無知は力」は確かに正しくて、でもそれは「知は力」の力とは異なる力なのだろう。

メモの処理

書き留めたメモの処理は、

1.どこかのリストに加えればOKなもの 2.軽く膨らませておいて後から使えるようにするもの 3.入念な検討が必要なもの

くらいにタイプを分けて処理を進めていく。

食材で言えば、1→そのまま保存、2→下ごしらえ、3→解体作業、みたいな感じ。

たいていのメモは(待機中の窒素くらいの割合)、おおむねそのタイプのもので処理は1でOK。で、メモしたものの種類によっては、「さらなる思考」の呼水的なものがあり、そうしたものは「思考」する、という処理をする、となりますね。

https://twitter.com/akizukid/status/1629831544692162560

メモそのものは放置して忘れてもいいようなことを中沢新一さんが昔言っていた気がする つまり、メモすること=思考すること自体に価値があるため、そのメモの処理はどうでもいいような考え方

思考することが重要だとだからこそ、より思考するためにメモを処理(プロセス)する。つまり、「メモ」と「処理」の含意が広い。

「処理」が分類と配置しか意味しないなら、梅棹がカードは分類しないと言ったのと同じ意味でそういう処理はほぼ意味がない(あるいは事務的なものに止まる)。しかしメモされるものの種類は広く、それぞれで要請される処理も異なるのではないか、という観点から「知的生産の技術」を再検討していく。

これも何かまとまったものが書けそう。

礼儀と距離感

「よくぞ聞いてくれました」というセリフがあるが、あれは会話においては自分が喋りたいことを勝手に捲し立てることはしない、という礼儀の表れでもあるのだろう。

その意味で、礼儀はプロトコルでもあるし、人間関係における距離を作るもの、緩衝材でもある。直接ではなくする装置。

余計なこと

リスキルもアンラーンも、すべて技能というか「仕事に役立つ能力の獲得」という文脈であって、スタディのような勉強から接続する研究というような文脈は見事にそぎ落とされている。つまり、余計なことはするな、というわけだ。

コスパ/タイバのような効率性を求める姿勢も無駄なものを排除するわけで、つまりは余計なことはしない、となる。でもってそれは直接性の世界への包摂でもある。

連用日記で一日一アイデア

多分だけど、「一日一つのアイデアを書く」を連用日記でやると楽しいはず。

雑に使う

まさにこれが「雑に使う」とはどういことかを明示してくれていますね。ある規範性があるにせよ、それを"横目において"別の使い方をしうること。「雑に使おう」と言うだけでは空虚になるのもこのため。

https://twitter.com/takwordpiece/status/1629673535626158080

「アウトライナーは雑に使う」のだが、だからといって「アウトライナーは雑に使わなければ」となってしまったらそれはもはや雑ではないですよね

だから「雑に使うこと」を示す場合には、ルールという抽象化された規範性を示すのではなく、むしろ徹底的な具体例を提示するのがよいと思う。

ファストとスロー

ファストなパスがお金で買えるなら、スローな何かは何で得られるだろうか。

美意識

「〜する、しない」というのは、倫理・道徳レベルのものもあれば、単に美意識レベルのものもあるだろう。

考え方のタイプ

最強の盾と矛がぶつかったらどうなるかを考えるのも面白いが、それを一緒に使ったら強いんじゃねと考えるのも面白い。

公平であるべきなのか

hogeガチャというときの、それは平等であるべきだ、という価値観と、なぜならそうでないと競争が公平にならないから、という前提がどうにも引っかかる。

ノウハウの語り

「正しい」ノウハウは、どうしてもお説教っぽくなってしまう。