2022年10月15日までのツイートノート
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ゲスト回BC048『はたらくiPad いつもの仕事のこんな場面で』 - by 倉下忠憲@rashita2
第百十五回:Tak.さんとノート術と執筆術の違いについて 作成者:うちあわせCast
発想だけでは問題解決できない
たとえば、自作ツールに関して「こういう機能があったらどうか」みたいなアイデアがいくつも浮かぶわけだが、それらをすべて実装すればハッピーかといえばノーなわけだ。つまり、発想できれば問題解決とは言えず、別の思考が求められる。
漢字のひらきについて
漢字のひらきは、意味の強さ・文字(というか線)の密度、意味の限定、漢字とひらがらのリズム、といった観点がありますね。
カッコなどの記号の使い方も同様に。
藁人形語り
「藁人形語り」みたいなのがある。執拗に自分の心の声に(声だけに)対して反論や主張している記事に感じる。
的外れかどうかをどう判断しているか
何かしらリプライしようとして、いやこれはちょっと的外れだからやめておこうと削除することがあるのだけども、そのとき僕は何を見ているのだろうか。なんとなく水平をとっているような感覚がある。
自作ダッシュボードのループ
デジタル・ダッシュボード的なものを自作する=>あれやこれやと情報を詰め込んで「おお、これはすごい!」と喜ぶ=>しばらくすると情報量の多さにうんざりしてくる=>にもかかわらす自分で作ったものというサンクコストが生まれて使い続けないと、と苦しくなってくる、までが定番ループ。
君と著者の戦いでは、著者を支援せよ
本の読み方として、「君と著者の戦いでは、著者を支援せよ」という姿勢はあるように思う。by『哲学の門前』
「はぁ?」と思うような文章に出会ったときに、著者が目一杯正しい主張をしているのだとしたら、どういう意味であろうかと読み解くということ。そのような読み方から、むしろ自分の考えが変化していくことがある。
一番身近なプログラミングツール
たぶん、普通の(つまりIT系ではない)ビジネスパーソンにとって一番身近な「プログラミング」的ツールの存在ってExcelなのだろう。そのツールとどう付きあうかは、けっこう大切な気がする。
コスパ重視の何が問題か
若い人がコスパを重視することが問題視されるのは、それしか価値を計る物差しを持っていないのではないか、という懸念があるからだろう。ある程度年齢を重ねていると、他にもいろいろあるけど、今このタイミングではコスパ、という選択が行われた可能性が高い。もちろん絶対ではないのだけども。
これも以前書いた「目標を使う」と似たような感覚だろう。
二種類の執筆活動
短編と長編のように、スプリンター的な執筆活動とマラソン選集的な執筆活動があるように思う。
「そうとは言え」による中和
「そうとは言え」というのが原理主義への中和剤になるだろう。もちろんそうとは言え、それだけで解決するわけではないが。
自分以外が自分の原稿を使う
たとえば、自分がセルフパブリッシングで作りたい本を編集者を加えて作ると採算はたぶん合わなくなる。一方で、自分がこれまで書いた原稿から編集者さんが本を作る、というのなら、別の採算の計算になる。
全体のサイズと部品のサイズ
コードの全体が大きくなればなるほど、関数を小さく書くことのありがたさがわかってくる。
ヤバくなりがちなもの
「正義、英雄、栄光」
自分の欲を知る
別に吐露しなくていいから、自分の心の中にある欲にいついては良く確認しておいた方がよいと思う。
タスクリストに書いたことは、なぜ実行されるのか
これは以前考えた、「タスクリストに書いたことは、なぜ実行されるのか」(そうなることが当たり前だと認識されているのか)と似た問題だと感じる。
https://twitter.com/masayachiba/status/1579295250669240321
自由の限度
たとえば、文章の書き方は自由で少々の逸脱もスタイルであると言えるが、それ以上いくと文章として機能しなくなるラインというのはある。同様に、文章の読み方は自由でさまざまな解釈が可能であるが、それはもう「読んでいる」とは言えないラインがある。
Author rashita
LastMod 2022-10-15 (a4b8793)