大きければよいとは言えない

何かしらの概念Aがあるとして、なにもかもがAだと拡張していくと、Aを受け入れるか全否定するしかなくなってしまう。言い換えれば、部分的な肯定ができなくなる。概念は大きくすればいい、というものではない。

「自分勝手」と「自己中心的」の微妙な違い

「自分勝手」の中には、「あなたのためを思ってやったのに」が含まれる。

インフルエンサーの逆

流行を生み出すとされている、インフルエンサーの逆とはなんだろうか。

その人がコミットしたら、流行が終わってしまう存在、あるいは流行になるべく力を持っているものがそうでなくなってしまう存在。

無関心が、流行を抑制するとしたら、別の話題のインフルエンサーがその話題のアンチ・インフルエンサーなのかもしれない。

レールに乗る

「レールに乗る」ことの問題がよく言われるが、適切に目的地に連れていってくれるならがんがん利用した方がいいだろう。一方で、進めるためのやり方を「レールに乗る」しか知らないのなら、なかなか苦労するだろう。

何やら再帰的なにおいがするが、とりあえず置いておいて、物事には、どの方向に進めばいいのかわからない状況から暫定的に進む方向を決めて、進んだ結果を考慮して方向を再検討して、という感じでないと進められないものがある。まっすぐには進まないし、ジグザグだったり結局円を描いてしまうことも。

そのたびごとに立ち止まって考えて、また進んでいく、ということを繰り返す。そういう進め方は、具体的なノウハウのレベルよりは一段抽象的だが、逆にいえば汎用性がある。

「レールに乗る」ことは、「試す」ことの拒絶でもあるので、新しいやり方に出会えない、という構造的な閉塞感がある、というのが再帰的なにおいの正体だろう。

社会問題に必要なもの

倫理とか道徳哲学を無視して「社会問題」を考えるようになると、そりゃそうだよね、的なことになる。

「あれが問題だ」と言って問題が解決するならば、そもそもそれは社会問題にはなっていない。

レッテルが貼られた「弱者」を制度的に救済すればすむ、というものでもない。

『冗長性が世界を救う』

あるいは、『あなたの物語を読み替えよう 〜多義性・冗長性・偶有性〜』という企画案。

最適化

「最適化」は、反抗するよりははるかにローコストである。

しかしそれは、そこにある制度を肯定し、存続させることに票を投じていることになる。世界を変えることはない。

プラットフォーム

プラットフォームは、フラットだろうか。ピラミッドではないかもしれないが、文鎮っぽい形はしているような気がする。

「なんとなく楽しいからやる」

「なんとなく楽しいからやる」というのはある種の反乱でもあるだろう。目的性への、あるいは経済合理性への。

つまりこれが「自分のために何かする」ということだ。たまたまの身体性の好みに賭すこと。計算の外に出ること。

いうまでもないが、「なんとなく」という部分が大切だ。その時点ではまだ言語化できないけれども感じられる、という領域。身体と言葉の狭間。

読書のコスパ

コスパうんぬんで言えば、書籍はそうとうコスパ高いと思うけど、たぶんそういう意味でのコスパではないのだろう。

使用する認知資源と、得られる満足感の比率、という感じだろうか。あるいは、単に快なのかもしれない。

決定について

決めたことの影響はその後も残り続けるが、決めたことを変えてはいけないというわけではない。

どちら側も苦労している

線のどちら側にいても、それなりに苦労はある。しかし苦労のタイプが違うのでうまく想像できなかったりはする。

仕事のデザイン

仕事というか作業時間のデザインは休憩時間のデザインでもある。

不完全なシステム

「不真面目な取り組み方」と並べるなら「不完全な計画」があるだろう。「不完全なシステム」でもいい。もちろん、これは否定的ではなく肯定的なニュアンスである。

「不安定な価値観」も良い。

共通の言葉を作る

『パタン・ランゲージ』と同じように、ある分野での議論・対話を可能性とするような語彙の整備をしたい、という思いがあるのだけども、「お前が決めた定義を正しいとするのか」みたいな批判があって困惑してしまう。

内と外の呼応の原理を持ち出せば、そういう人は自分が正しい方法を知っていると思っていて、別に議論をひらきたいとは考えていないのだろう。

とりあえず、個人的ノウハウの分野では、そうした語彙はとっ散らかっていると感じる。分野の特性上仕方がない面もあるだろうが、「それでも」という気持ちがある。

逸脱し続ける

ある空間から逸脱しようとする思考は、そこにはない線をまず引き、複数の線が平面を構成し、やがて空間を立ち上げる。

そうして立ち上がった空間からも逸脱しようとする思考の「本質」は、空間にあるのではなく、むしろその動き(プロセス)にあると言える。あるいは、存在しうるすべての空間に遍在しているとも。

ジャンルについて

基本的に作者に注目して本を読むので、あんまりジャンルにはこだわりがない。でもって、内と外の呼応の原則から言って、自分が書くものにもジャンル的なこだわりが生まれにくい。

「何者かになりたい」

ようするに「何者かになりたい」という欲望をそのまま肯定してくれるコンテンツか、あるいはそうい要望は捨てましょうと説くコンテンツかの両極端が主流なのだな。でも、個人的にはその二択だけではないと思う。

動的なライフ

生きることを静的に捉えているならば、それに対応するためのあれこれも静的になる。この対応を変えないと、動的なものの必要性が見えてこない。

たとえば、RPGのレベルアップは非常に線的な概念だが、実際の人間に起こることは「変化」と呼ぶほうが適切だろう。

基礎的な話

なんというか、いろいろ応用的・実践的な話をする前に、すごく基礎的な話をした方がいいのだろうなと感じる。ただし、それを面白く語る必要がある。

セルフコミュニケーションの技術

たとえば、以下をセルフコミュニケーションの技術として捉えることもできるだろう。

https://twitter.com/rashita2/status/1574186353868165122

「タスク管理の技術」とは、望ましい行動を促すための外部足場を構築することだと、ひとまずは言えるだろう。

企画案を育てる

たぶん、企画案を育てるというのは、細い企画案を肉付けしていくのではなく、折に触れて、そのテーマについて考えていくことなんだと思う。