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第百十四回:Tak.さんと面白い記事とは何かについて 作成者:うちあわせCast

自他のバランス

「しかるべきことをなせば、いつかは救いがやってくる」という自力と他力のバランスは、はたして適切か。

そう見えるから、そう作る。

人は、何かしらの出来事に単一の原因を見出そうとする。言い換えれば、中央集権的原因をイメージする。だから人が何かを作るとき、中央集権な構造を設えてしまうのではないか。

内と外の呼応がここにもある。

知識の在りよう

知識はネットワークで、ライフワイワードされている。

「諦める力」

一つの場所で戦い続けることを美談化しすぎではないか。それはありうる戦略の一つでしかないだろう。

ちなみに、麻雀の初心者から中級者への壁は「あがれそうな手でおりられるかどうか」。つまり諦める力。さらに言えば、中級者から上級者は「危なそうな手でもいける力」。初心者の「なんでもいく」とは一見似ていてもかなり違う。一ひねりも、ふたひねりもある。

あるプロセス(≒時間)を経て形成されるものは複雑な形になる。だからそこ、さまざまな状況に対応できる。「即効性」のまなざしが見落としているのはその点だろう。

ある人が割り切った考え方を提示していたとしても、そこに至るまでにはプロセスがありそのおかげで複雑さがそこには生まれている。なので、その「割り切った考え方」だけを受け取っても、だいたい不幸なことにしかならない。

人間が生きる場所

神が細部に宿るなら、人間は総合の中で生きるのだろう。

マシな在り方

なんかこう、我慢して乗り切る、よりは、楽しみを見出そうとする、の方がまだマシかなという気はする。

つながりを意味するもの

文脈、物語、思想。

ミニマリストの本

そういえば、ミニマリストの本だったら50ページとかせいぜい100ページだったらいいな、と思います。

神経

「無神経」も「神経質」もあまりポジティブには使われないな。

レイヤーと失敗

うまくやろう、という気分が高まるほど、一つ上のレイヤーでの失敗が怖くなる。

その意味で、どこかの段階では視点を動かせるようになることが必要。あるいは、視点は動かしうるのだ、という観念。

逆に言うと、上のレイヤーでうまくやろうとしているなら、下のレイヤーでの失敗はものの数には入らなくなる。

そう考えると、単一レイヤーの観点では、「計画」を立ててうまくいかなかったら大いなる失敗となってしまうだろう。それを廃棄したくなる気持ちもわからないではない。

失敗の経験の欠如

効率的に物事を進めるのが悪いわけではなく、その背後にある失敗したくないという心性と、それによって引き起こされる失敗の可能性のある行為(経験)の欠如が問題ではないだろうか。

面白い、から始める

「単純に、面白い」から始める。

そこで終わりにするのではなく、そこを出発点にする。

三つの捉え方

線的な捉え方、点的な捉え方、円的な捉え方。

自己肯定感の謎

自己効用感、というのはなんとなくわかるのだけども、自己肯定感の「感」がいまいちわからない。

先が読めないならば

「これからの社会は変化が早く、先が読めない。だから○○をしておかないと取り残されます」という言説。前後の文に矛盾がないだろうか。

項目とオブジェクト

itemを並べるときはリスト、objcectを並べるときは横に配置、という感覚が自分にはあるのかもしれない。この場合のitemはinlineなもの、という感じ。

inlineなitemは、再帰的な構造の中ですべて均一である(あっても構わない)が、blockなobjcectはレイヤーごとに様相が異なってくる。

自分の頭で考えること

単に調べようとしないことは、「自分の頭で考えること」とはちょっと違うように思う。

不勉強と認識の偏り

不勉強と認識の偏りの相互作用でハウリングが起きる。

行為と思考のレイヤー

「どのようにするのか」レイヤーと、「何をするのか、なぜするのか」レイヤー。

壁を壊すと何が起こるか

壁は塀でもあって、「これは見せないようにしましょうね」というお互いの領域設定の道具でもある。

で、すべての壁をぶっ壊せ、となるとどうなるか、という話だ。

変化を抑制する囲い

人は変化すると情報の好みも変わっていく。ある種のコンテンツ業は、変化を抑制することで離脱を妨げる。「変化」を謳っていてすら、その内実は変わらない。

オンラインサロン的な「風景」がずっと一緒なのもこのためだろう。

問題にアプローチする三つの姿勢

努力と工夫と無為。

文句があるならやってみる

いろいろ文句があるならば、自分のできる範囲でその問題に取り組む。そうしてやってみることで、はじめてわかることもある。

根を詰めても、得るところなし。

根を詰めても、得るところなし。

「正しいこと」の閉塞感

世俗性を完全に切り離した「正しいこと」の閉塞感。

問題解決を必要としない人

「ライフハック」の有用性の限界は当然あり、それはそれとして、ある領域まで到達した人は「ライフハック」など必要としないだろう。

何かが問題である、という認識を却下できるなら、解決すべき問題は消え去る。当然、問題解決も必要とされない。あとは、自分の行動とその結果を全肯定していけばいい。

真理という名のブラックホール。

何もかもを吸い込んでいき、すべてはそこから出られない。

インフルエンサー

現代の「インフルエンサー」が力を持っていることは確かとして、それはどれくらい絶対的(≒超越的)なのだろうか。移り変わったり、複数いたりすることで発生する相対化が、そこに生まれているのだろうか。

インターネット→閉鎖的→絶対者を求める、という流れはたしかにあるだろうが、そればかりでもないだろう。だとしたら、その分断が問題になるのだろうか。