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ゲスト回BC045『Obsidianでつなげる情報管理術』 - by 倉下忠憲@rashita2 - ブックカタリスト

プロンプト

AI経由による画像生成でプロンプトが研究されているのも、なんやかんやで「言葉」なのだな、と思う。

暗黙の描き手のバトン

絵を描く人は、これまでに描かれた絵をたくさん見て(“学習"して)描いている。だから、絵を描く人は自分が描く絵が他の人に見られる(“学習"される)ことを暗黙に了解していると言える(社会契約論的な意味で)。その了解に、機械学習が含まれるかどうか。

越境している本

僕の好きな本は、「書店の本棚のどこにあるのかよくわからない」ことがけっこう多いのだけども、これは「越境」しているということなのでしょう。

普遍的で個別的な話し

一方に一般的な人間の性質の話があり、もう一方にその人個人の具体的・個別的な話がある。タスク管理は、基本的にその間をうろちょろするものだし、知的生産の技術も同じだろう。

書くことについて

目の前の原稿をどう書くか、だけではなく、なにをどう執筆していくのかを改めて検討しておきたい気分になっている。

二種類の「何をしていいのかわからない」

「何をしていいのかわからない」も、選択肢が空っぽの状態と、選択肢が閾値を超えてしまっている状態があるのだろう。

ボトムアップ

トップダウンはウォーターフォールとも呼ばれる。では、その逆はどうだろうか。つまり、ボトムアップとよく言うけど、その具体的なモデルを僕たちは持っていないのではないか。

地球にいる人間にとって上と下が非対称であるように、人間の情報処理(あるいは文明化された人間の情報処理)にとって、上からと下からは非対称なのだろう。

下から、でイメージされるのが人為的なものが多いもの示唆的だ。

噴火、植物の成長くらいか。ただイメージは少し違う気もする。

明瞭な文

基本的に明瞭な文が好きだ。もう少しいえば、明瞭な文で表される不明瞭なことか好きだ。

人は持っていないものを欲する

人は自分が持っていないものを欲すると言うが、それの「持っていないもの」は自覚的なものなのだろうか。それとも、自らが欲することでそれを持っていないことを直覚するものなのだろうか。

ユーザーはわがまま

アウトライナーはさまざまな使い方ができるので、ときには画面の端の方で細長く表示されて欲しいし、ときには画面の中央でドドーンと表示されて欲しい。ユーザーはわがままなのだ。

「意味という出来事」を生じさせる勇気

“「意味という出来事」を生じさせる勇気"というのは感覚としてよくわかる。そこに勇気が必要なのは、その出来事が必然ではないからなのだろう。あるいは意志の支配下にないとも言える。

https://twitter.com/masayachiba/status/1564795918477496321

説明は理路整然としていて、よく組み立てられた話だが、決定的な「意味という出来事」に欠けている、と思われる文章がある。論文指導において重要なのは、少なくとも一箇所、「意味という出来事」を生じさせる勇気を持つようにと促すことである。

考えておく

「数学ガールの秘密ノート」がcakesでやっていたときは思いもつかなかったけど、現状の方式になって「自分でも似たようなことができるかもな」といつもの真似っこマインドセットが湧き出ている。

たとえば、こういうことを実際にやるかどうかは別にして一度真剣に考えてみる。何をするか、どのようにするか。そうして考えたことは、ぜんぜん別のタイミングで、「ああ、そういえばあのやり方があったな」という感じで結びつく、こともある。

成功と失敗

Repeated exposure to success harshens reactions to failure - ScienceDirect

考えてみると、片方で「成功法」が華々しく語られ、もう片方では失敗が嘲笑される環境において、失敗の可能性が随伴する活動に取り組む意欲は湧きづらいのだろう。

『ライティングの哲学』『独学大全』などは、プロセスの中にうまくいかないことが入り込むのは避け難い、ということを示している点で優しいのだろう。

『すべてはノートからはじまる』も似たような視座ではある。

生産性

「このアプリを使うと、生産性が2倍になります」みたいなフレーズ。具体的に何がどう2倍になるのか気になる。

『ようこそ実力至上主義の教室へ』

最強の主人公が、自分を打ち負かす「クラス」を育てることができるか。それによって、彼は彼に向けられた「実験」の不完全性を証明する。しかし、そうした意図の実現が可能だとしたら、彼は別の意味で最強ではないのか、的な。

自らのまなざしの傾向

問題を指摘する回数と、よくなっていることを指摘する回数。どちらが多いだろうか。

古典が送られてくる

ディアゴスティーニみたいな感じで、長めの古典作品を毎回小冊子サイズで送ってくる、みたいなのはどうか。なんなら電子書籍とかメールでも。

電子書籍が、テキストデータとして取得できるならば、こういうハックはユーザー側でいくらでも可能なのだけれども。