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第百十回:Tak.さんとアトミックとは何かについて 作成者:うちあわせCast

『アトミック・シンキング: 書いて考える、ノートと思考の整理術』 - by goryugo - ブックカタリスト

自分の方法を見つける旅

「自分の方法を作る」という意識がない場合は、ともかく権威の後光が必要、ということはあるだろう。

まあ、そうはいっても若い頃は本を読むたびにそこで紹介されている手法に「絶対的解」を見出してふらふらしていた気はする。まあ、道行きというのはそういうものだろう。

『闇の知的生産学』

『闇の現象学』というタイトルがかっこいいので、あやかって『闇の知的生産学』というのを考えてみたい。

知的生産の習慣

どんな方法をとるのも別に構わないけども、「毎日少しずつ考えごとをして、それを小さい文章として表しておくこと」は知的生産活動においてきわめて重要である、という点は言えると思います。

無駄なこと、そうでないこと

ある領域で無駄なことでも、別の領域では効果を持つことはある。その視点の切り替えこそが、物語の語り直しなのだろう。

何もしない

資本主義経済の中にあって、「何もしない」は採択されにくい。常に何かしらの"カイゼン"が進められていく。

執筆とコーディング

コード書きと執筆は似ているところはあるが、やはり別の知的営為である。

二つの思考

非文脈的な発想の広がりと、文脈的な発想の統合。その異なる二つの力を使っていくこと。

カルチャーにしないキャンセル

これまでの経験から期待値があまり高くないので特定の出版社の本には手を出さない、ということはある。でも、それを明言したり他人にまで促そうとはしない。つまり、カルチャーにはなっていないキャンセル。

そのうえ、ごく稀にその出版社の本を読んで評価を改めることも(決して高くはないが)ゼロではない。その意味で、徹底されてもいない。そのくらいのフィードバックで十分なのではないかな、とは思う。

執筆の駆動力

本棚の本をぱらぱらと読み返していて「いや、それはそうじゃないだろう。こうだろう」という思いが込み上げてきて、これが自分にとっての執筆の駆動力なのだろうなと思った。

言いたいことをいいつつ

自分の言いたいことを言う、というのは大切なことだけども、その背後に「事実について調べる」とか「他者の尊厳を守る」とか、そういう規範を持っておくことも大切だろう。

頭の中の原理スロットボードが一つしかない状態だと、何かしらの指針を優先したら他のことはまったくどうでもよくなるわけだが、実際必要なのは複数の指針を持ち、そのバランスをとることだろう。

それが葛藤やら良心の呵責を生むわけだ。バランスをとることを放棄したら、これらからたしかに開放される。でも、それで良いのだろうか。

僕は、巷で語られる個々のノウハウについて何かを言いたいわけではなく、「スロットボード一つ状態」について懸念を持っているだけである。

極端なメッセージの弊害

「hogehogeさえやればうまくいく」という極端なメッセージ、読み手もそれが極端な表現だとわかっている(≒割り引いて読んでいる)のだとしても、「じゃあ、どうすればいいか」を示せていない時点でやはり不十分なのではないか。

結局それは、小さい領域に問題をフレーミングしているわけで、それは無害とは言えないだろう。

苦悩なき人生

たとえば、何も迷いなく生きれるようになったとして、そこでは倫理が働く余地があるだろうか。

たとえば、良心の呵責から完全に解放された人はサイコパスと見分けがつかないのではないか。

たぶん「些細なことに悩みたくない」みたいな欲求があって、提供されるノウハウもそのレベルの話なのだろう。しかしそのノウハウが自身の有用性を強調する際に「悩むとこんな良くないことがあります」などとアピールするがゆえに、「悩む」こと全般が悪いことであるという文脈が生まれてしまう。

これがようするに「低いレベルのフレーミング問題」なわけだ。

別の言い方をすれば、快刀乱麻的な解答は、その解答そのものではなく、問題の次元を低いレベルに留めてしまう点に問題がある。

マーケットとコンテンツ

あるマーケットがあって、そのマーケットに適合するコンテンツを作る、というだけでなく、そのマーケットそのものを変容させていくコンテンツについても考える。

問題理解と問題解決

根本的な問題の理解が間違っていれば、問題解決はおぼつかないだろう。

でもって、分析的な視点を取れば取るほど、視野が狭くなる危険性がある。

相対主義と教育

ある種の相対主義は、教育の必要性を無効化しまうところあがある。「なんでもいいじゃん」的に。そこには、総合的、集合的、長期的な視点がない。

説教やアドバイスの快

説教することにも快が潜んでいるんだろうし、アドバイスも同様だろう。人間が社会的であるから、その辺は受け入れるしかない。その上で、自分のアドバイスに酔わない姿勢は必要なのではないか。

本文とは違うアウトライン

カード→アウトライナー、で作ったアウトラインは本文のアウトラインではないので、テキストエディタとは別に表示させておく。

アレクサに通じない

イントネーションの問題なんだろうけども、アレクサさんに「B’zをかけて」とお願いしても、まったく成功しない。

スポ根について

スポ根は、リアリティーなのかファンタジーなのか。

微妙なニュアンスを伝える

たとえば、「学校は行けるなら行ったほうがいいかもだけど、必ずいかねばならんってことはないよ」というのと「学校は必ずいくべし」「学校ななんていかなくていい」というのは、意味として重なる部分はあるけども全体の意味はかなり違っている。そういう話が結構いろいろある。

一定周期の人気者

定期的に、「周りの評価なんか気にしない。俺はズバッと言うぜ」的な人が一定数の人気を集めるが、普段の抑圧の反映なのだろうか。

やり方を立ち上げる

なんやかんやで、そのときどきで、そのときのやり方を立ち上げていくしかないのだろうな、という感覚がある。本の書き方は。

問いと問題視

問いを発することと、何かを問題視することは、似ているようで異なる。

形骸化はまだマシ

何かが形骸化しているのはまだマシで、ときには有毒ガスを撒き散らしていることがある。

不安定な正しさ

自分の正しさが不安定だからこそ、他者に向けて正しさを強く主張する。その正しさを脅かすものは拒絶し、その意図を曲解することも厭わない。問題は、どれだけそうした営為を続けても不安定さが解消されることはない、ということだろう。