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BC042『超没入 メールやチャットに邪魔されない、働き方の正解』 - by 倉下忠憲@rashita2

楽しいの幅

ある行為が「楽しい」というとき、そこにはニュアンスの膨らみがある。アジテートされることも楽しいし、程よい難易度の知的な困難を解決するのも楽しい。

私たちは他の人の「楽しい」を正確に受け取れているだろうか。

仕事の価値について考える

たぶん、仕事の価値について真剣にかんがえたことがないと、「楽して儲ける」みたいな言説に引っかかりやすくなるのだろう。

ブログとは何か

そういえば、ブログは「情報発信」と言われるけど、なんか微妙に違うんじゃね、と思うことはある。別に間違っているとまでは言わないけども。

一週回ったブログ

かつてブログを書いている人は珍しかった。だから価値があった。でも「価値があること」が喧騒された結果、猫も杓子もbotもブログを書くようになった。物珍しさがなくなり、価値もまた薄れていった。そうしてブログを書く人が減り、注目される度合いも減った。一週回った、ということだ。

この地点において、「ブログを書くとはどういうことか」を考えること。それがre:startには必要だろう。あるいは、そんなことは何も考えずに、淡々と書き続けていくか。

ものを考える人を増やす

単純化して、「ものを考えない人」を増やしても、たぶん問題は形を変えて保存されるだけで、解決されないことが多いだろう。

理想との付きあい方

理想というのは目指すものとしてはよいけども、それしか見ないのではマズイだろう。

Webを先に進めるために

Webを次に進めようという構想はよいとして、まず今までのWebがきちんと総括されているのか、という点と、その総括内容を広く啓蒙していく必要があるだろう、という点が気になるところ。でなければ、結局人々を置き去りにすることになるのではないか。

もちろん、そういう泥臭い活動はビジョナリーな人は厭うのだろうけれども。

複雑さでないと掬えないもの

複雑さでないと掬えないものがあるのだろう。

デジタル教育

デジタルにおける情報の扱い方、という基礎的な話をすっ飛ばして新しいツールを導入しても、期待するほどの効果はあげられないだろう。

話を聞いてくれる人

なんとなくだが、「話を聞いてくれる人がいない」、という状況がいろいろな問題の根っこにあるのではないかと感じる。

単純化した世界と自分

物事を単純にしか受け取らないということは、「自分」という存在(あるいは現象)もまた単純に受け取るということだろう。

マネージャーの仕事

正論を投げることが仕事だと思っているマネージャーは実にやっかいだ

執筆と進捗管理

“執筆は、究極のところ、進捗とモチベーションの管理に帰着する”

読書猿「断念の文章術」『ライティングの哲学』

『独学大全』の執筆においては、当初の目次案から大きな構成の変化がなく、目次をそのまま進捗チェックリストとして運用できたとあるが、問題は書きながら構成が変わってしまうような場合の運用をどうするかだろう。

イメージだが、進捗割合の数字が減るような状況は、心理的に結構ストレスなはずである。

自分についての関心が薄い

思うに、「自分」について興味関心が薄い人が結構いる。つまり、自分を「知っている」人。だからこそ、セルフスタディーズが有用なのだろう。

ある対象について自分がどんな感覚を覚えるのか、自分に何ができて何ができないのか。それを開拓しようとしない。それらがすべて「自明」な状態におかれ、自我のみに関心が注がれる。

頭の堅さと柔らかさ

頭の中にモデルがあって、新しく入ってきた情報がそのモデルと齟齬を起こすときに、それでもモデルを維持するのが頭の硬い人、モデルを変更していくのが柔らかい人だとして、その違いもまた、頭の中のモデルによって生じているのだろうか。

つまり、何かの理解に関することなのか、それとも何か別の、たとえば条件づけられた行為などに関することなのか。

うまく書けないところが重要

なんとなくだけど、「うまく書けないところ」が結構大切で、だからこそ扱いが難しい。

技術的に書けない部分と、まだ自分がそのことについて十分に考えていなかったから書けない部分があるように思う。

ぱっと書けることは、以前自分が書いたことがあるか、誰かの考えをなぞっているかのどちらかなのだろう。

その意味で、技術なり内容なりにおいて課題を設定することは大切だと思うけれども、高いすぎる課題は挫折を呼ぶ。ゴルディロックスな課題設定がポイントで、そのためにはいくつかの観点が必要。

自分の力量を適切に評価する。今その仕事だけでなく、継続的な成果の中で考える。他人の仕事には手を出さない。フィードバックに真摯に耳を傾ける。など。

少なくとも「盲目的に努力する」のようなものでは機能しないだろう。

防衛的反応としての攻撃

攻撃が防衛反応なのだとして、攻撃されたくないからそうした反応を見せているのだろうが、まさにその反応によって相手から攻撃を引き出してしまうことがあるのが問題だろう。

攻撃されたくない人が攻撃されたくない人に攻撃すると、泥沼が始まる。

複雑な状況を切り分ける力

目指したいのは、複雑な状況を「簡単な問題」として提示するのではなく、その状況を簡単な問題に切り分けるための視座を提供すること。

回り道にはなるが、そうすれば新たに状況が立ち上がっても対峙できるようになる。複雑な状況に怯え、戸惑うことを減らすことができる。

倉下の趣味

趣味は他人の「作りたい」を刺激することです。

タスク管理の効能

忙しさと対峙するためにタスク管理を行うのは有効だが、それだけで仕事の問題がすべて片付くわけではない。

陰謀論と変わらない

「とにかくXが悪い」という結論固定状態なら、その間に出てくる理路はほぼ陰謀論と変わらないだろう。

すべての人は救えない

ノウハウを書くときは、一人でも多くの人の役に立てばいいなと思うわけだが、かといってすべての人を救おうとするのは行き過ぎだろう。

解凍がないから、考える

解答がないから考える。過去のパターンを当てはめて了とするのではなく、うろうろと探索しながら、なんとか機能するものを見つけようと四苦八苦する。工夫というのも、その道行でこそ活きる。

自分の知識体系に編入する操作

勉強法の一種だとは思うけど、本に書いてあることを単に理解するだけでなく、その知識に何らかの概念操作を施して、自分の知識体系に編入する、というプロセスが大切なのだろう。それがうまくできないと個別知識が増えるだけに留まり、うまく使うことが叶わない。

それしかなければ

「それ」しかなければ、それのことはわからない。

マニュアルではマネジメントはなせない

マネージャーにマニュアルを与えてもマネージャーを育てたことにはならないだろう。同じことはセルフマネジメントでも言えるのだが、案外見過ごされている。

セルフマネジメントが軽んじられているのか、マネジメントが軽んじられているのかのどちらかだろう。あるいはその両方か。

タスク管理Bootstrap

タスク管理Bootstrapでも構築するか。

上流と中流と下流の3パーツで検討する。ディレクション、マネジメント、プラクティスが相当。

コモンプレイス・ブック

コモンプレイス・ブックというのは、「ノートは本であり、本はノートである」という好例だろう。

目のつけどころが間違っている状況

目をつけるところが間違っているせいで問題解決に至れない、ということはあるわけだが、その道筋がメディアによってつけられてしまう、ということもあるわけで。