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第百七回:Tak.さんとトンネルChannelと新しい対話の形 作成者:うちあわせCast

自由意志

自由意志は、その権能の強度から言って、「準自由意志」くらいの呼び方でいいのかもしれない。あるいは自由意志のようなもの、自由意志であってほしいもの、というような。

判断力と想像力

削ぎ落とす判断力と、広げる想像力。共にあってほしい。

思考の柔軟性を維持する

自分は思考の柔軟性を重要視しており、それは毎日の「運動」によって維持されるものだろうと認識している。そうした運動を軽んじれば、リンゴが地面に落ちるように独善かつ独断的になっていくのだろう。

当たり前の伝わりづらさ

自分が一番当たり前だと思っていることが一番伝わりづらい。

当たり前であるがゆえに、まず認識されることがない(前提になっている)。

また、当たり前であるがゆえに、他の人に説明しようという動機付けを持たない。つまり、説明の経験が圧倒的に不足している。

よって、当たり前なことを伝えようとしてもなかなか伝わらない。

楽をすれば、苦労をパスする

書き手の楽さは、読み手の苦労として返ってくる。

現実は文脈の中にある

たとえば「ユーザー」と呼んでいる段階で、「ヒューマン」に何かしらの文脈が付与されている。

もって、「本質的な」(イデア的な)ものは、理論の上では成立しても、実際的にはあんまり意味がないことが多い。文脈を考慮しない「言葉の使い方」を検討するのと似ている。

自分のモチベーションを自分で分析する

まったく作業しないことに比べたら、5分10分だけでも進めておくのは悪いことではないわけだが、それでも「5分10分しかないならちょっと……」とモチベーションが高まらないときがある。その心理を、自分で分析してみること。

この分析を自分でせずに、著名人が主張する話をそのまま受け入れるのは危険。それと同時に最初に思いついた自分の「分析」を正しいと思うのも危険。その思いつきを仮説として、実験をスタートさせる。これがようするにセルフ・スタディーズ。

名付けが馴染んでいる職業

変数/メソッド・クラス・パッケージ/ネームスペース・プロジェクトと、同じ名付けでも粒度が違うわけだ。

そういえば、プログラマーほどたくさん「名付け」を日常的に行っている職業もそうそうないのではないか(小説家は別として)。

ブラックボックス

仕事のひ孫請けとかの中身が見えない具合は、サブプライムローンの債権みたいだ。

難しい行為をどう伝えるか

何かしらの行為が難しいとして、「これは難しいです。さあやりましょう」というのでは行為を促せないだろう。かといって「これは簡単です」と嘘をついたら行為は促せるだろうが、実際に直面する難しさに打ちのめされるだろう。だとしたら、どうすればいいか。