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第百四回:Tak.さんと個人メディアと連載について 作成者:うちあわせCast

Logseq連載

Logseqを使う その1 – R-style

Logseqを使う その2 – R-style

Logseqを使う、その3 – R-style

メモ道具の哲学

https://twitter.com/TakumaKudo/status/1527764684639612929

「メモ道具の哲学」という観点は面白い。それについて、少し考えを深めていきたい。

柔らかいシステム

アウトライナーは雑に柔らかく使う。「システム」っぽくしない。

https://twitter.com/takwordpiece/status/1527476118810689538

あえて鉤括弧をはずせば、柔らかいシステム/弱いシステム として使ってみる、と表現できるだろう。

そのとき、「柔らかいシステム」とは何か。それと思考のOSはどうつながっているか。

「開かれた社会 VS なめらかな世界」

開かれた社会とその敵(ポパー)→なめらかな社会とその敵(鈴木健)→なめらかな世界と、その敵(伴名練)→?

https://twitter.com/shotichin/status/1527461900396613632

実際、「なめらかな世界と、その敵」が示すように、僕たちの生は本来ぜんぜんなめらかではない。それを「なめらかに」するためには、生を均すしかない。

開かれた社会がなめらかであるか。あるいはなめらかな社会は、開かれたものなのか。そこを原理的に考えておくことは大切だろう。

見えない影響

日常的な情報摂取から僕たちはじわじわと影響を受ける。ある日突然大きな変化が起こっても、その原因に気がつけないこともしばしばあるのだろう。

手間がかかるもの

https://twitter.com/masayachiba/status/1526517619486236672

基本的に、手間がかかるものの方が高級。それは認知過程においてもそうで、認知に手間がかかる方が、すぐ泣けるエンタメではなく芸術であるということになる。

しばらくこのことについて考えていたけど、認知に手間と時間をかけるほど「その人のもの」(その人らしいもの)になっていくのかもしれない。独自性かつ共有性があるものに。

複雑な判断が一瞬でひっくり返ることがありうるか

高次の判断は複雑なプロセスで構成されているとする。でもって高次の主張は高次の判断に裏付けられているとする。このとき、高次の主張がちょっとした変化でまったく逆の内容になってしまうことはどの程度ありうるか。

イライラするものは見に行かない

イライラする確度が高いものは、極力自分から見に行かない。

不思議なことに、イライラして文句が言いたくなることが予想できていてもそれを見に行ってしまう。たぶん、「文句を言う」ことに強化子が潜んでいるのだろう。

ダサくないマーケティング

匂いに釣られて魚が細い道を潜り抜けると、それは囲われた罠の中で一度入ると抜け出せなくなる、みたいなマーケティングはちょっとダサい。

居酒屋の扉を開けたら異世界に通じていたのでまた来たくなった、という方が個人的には好ましい。

へ理屈で煙に巻く文章

へ理屈で煙に巻く文章は、相手の知性を活性化するものとはやっぱり言い難いでしょうね。

意見と事実を分ける

文章技術では「意見と事実を分けて書く」とよく言われる。よく言われるということは、よく混同されるということだろう。《内と外の視点は呼応する》を適用すれば、読むことにおいてもその二つが混同されやすいのだと推測できる。

資本主義にいかに抗うか

資本主義を純化するのではなく、むしろ不純にする。不純な資本主義。

プラットフォームそれ自身を目的にしない「間のメディア」。

閉じていながらも開いている「感応するビオトープ」。

打ち立てられた計画を常に脱構築していく「反脆弱な計画」。

しばらくこのことについて考えていたけど、認知に手間と時間をかけるほど「その人のもの」(その人らしいもの)になっていくのかもしれない。独自性かつ共有性があるものに。