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BC037『現代思想入門』 - by 倉下忠憲@rashita2 - ブックカタリスト

知的な持続力を鍛える

早送りでもファストなコンテンツでも楽しめるなら何でも良いわけだけども、それはそれとして持続的に考えるには体力が必要で、それはトレーニングするしかない、という観点は必要だろう。

そういうトレーニングを積んできた人はいいとして、ファストなコンテンツしかない状態になったらどうなるのかはちょっと考えたいところ。

すでにそこにある貧困をどうするのか

清貧を目指そうと言っている人は、雇い止めとかそういう問題をどう捉えているのだろうか。

ブラックボックス論の視点

ブラックボックス論を用いると、テクノロジーやシステム(制度)が何を不可視化しているのか、それによってどんな影響が生まれるのかを検討する視点が持てる。単純に「不可視が悪い」ということではなく、見えない(あるいは見える)ことによって何が生まれているのか、と。

管理の徹底

管理の徹底は、生の否定に行き着くのだろう。

理性は、本能にブレーキを欠けるために存在していると言っていい。では、理性があまりにも強く鳴りすぎたらどうなるか。本能は消え去り、生物としての生は途絶えるだろう。

管理とは、基本的に理性的な試みであり、あるいは理性の発露とも言える。管理の徹底は、人間の生が内包する二つのものの動的平衡失わせる結果になるだろう。

適度な説明

ようするに、説明が具体的過ぎてしまうことと、抽象的過ぎてしまうことがあるわけだ。ピントがあっていない。

じゃあピントが合っている説明とはとなるわけだが、それはほどほどの具体性ではなく、具体と抽象を行き来する(ズームイン、ズームアウト)説明だろう。それによって、読者がピントを合わせられるようになる。

渡り

世渡りと知渡り。

とっちらかったプロセス

整ったものを作り出すプロセスにおいても、そのプロセスそのものはとっ散らかっているものだ、という理解はわりと広い射程を持っている気がする。

たとえば、その意味で生きることはプロセスだと言える。そういう理解を背景に持つタスク管理とそうでないタスク管理はやっぱり違う。

整っていないなりに限定的に「整え」を生み出すのだ、というのと、人生は元来整ったものであり、そのイデアを顕在化させるために「管理」を行うのだ、というのの違い。

想像力についての話

「同じ本を読むものは遠くにいる」は、想像力についての話でもある。

普通の生にある困難

何のために学ぶのか、何のために考えるのか?/飯田泰之×finalvent(『考える生き方』著者) - SYNODOS

普通の人生を生きるのって結構大変なんですよ。そして大変な人生を生きていくなかで、文学や思想の課題といった陰の部分というものがどうしても生まれてくるんですね。自分はどうしてこういう風に生きてきたんだと、人生のほうが自分に問いかけてくる。

そういう普遍的な大変さから目を背け、人生からの問いかけを無視するための装置が現代では過剰に存在しているのだろう。

抱えた苦悩の対処を知らず、それが他者(社会)への怒りへと変わり、攻撃による鬱憤ばらしが一時的なガス抜きとなるが、状況は変わらない。

ビオトープの時間性

情報濁流は一方向であり、歴史が不可視である一方で、ビオトープは対流的であり、歴史が沈殿していく、的な(勝手な解釈

https://twitter.com/nnnnnnnnnnn/status/1523829025805946887

『積読』本では情報濁流のなかで抗う方法を、『書物と貨幣の五千年史』ではその情報濁流がどのように生成されてきたのかを概観し、情報濁流の時間性とビオトープの時間性を対比した。情報濁流とビオトープの時間性には重要なずれがあるが、そこが見えづらい。

制約の効果

制約が可視化されるか、実感されていないと、何でもできるように感じられ、結果的にほとんど何もできないことになりがち。

説明のピントを絞る

広く捉えればこれはAにもBにもCにもDにも関係ある、みたいなものをすべて拾ってしまうと、薄まってしまう。そこは、勇気を持って、主要な要素に絞り込む。

抽象からAに飛び込むそのやり方を見せていれば、他のありうる可能性は読者が切り開いてくれる。そのように信じること。

諦めることとRe:vision

「諦める」とは、表現を変えたRe:visionのことなのだろう。あるいはRe:visionの一つの形態。

最初に志さない限り、諦めることもできない。

リベラルアーツとは何か

リベラルアーツが、Citizen’sリテラシーと呼べるものに相当するのか、それよりももっとラディカルなものなのか。

ビオトープについて

半コントコール(ないし準コントロール)された環境としてのビオトープ。

https://twitter.com/nnnnnnnnnnn/status/1522804700881502208

ブラックボックスの入れ子構造は終わりなく連鎖していく。それをどう有限化するか、と考えるときにビオトープのイメージを使うのが有効なんじゃないか、というのがこれまでの2冊で言おうとしたこと。

ビオトープもひとつのブラックボックスにならざるを得ない。そのブラックボックスをどう作るのか。