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第百三回:Tak.さんと最近のツールまわりについて 作成者:うちあわせCast

読了本

『モチべーションの心理学-「やる気」と「意欲」のメカニズム (中公新書 2680)』 - 倉下忠憲の発想工房

思うと考える

「思うがまま」は「考えるがまま」と等価ではない。「考える」とは、「まま」にしないことだからだろう。

自由な読解

テキストをベースにしない読解では、自分の好きなように読める。自由に議論を組み立てられる。それと同じ手つきがあれば、「世界は自分を憎悪している」という解釈を組み立てることもできる。思うがまま。

自由と隷属

何からの自由なのか、ということは考えられそう。

かつては自由人になるための技術だったもの(つまり奴隷ではなくなるための技術)を、現代どのように考えるべきかという話だった気がする。

https://twitter.com/nnnnnnnnnnn/status/1522457411730259968

たとえば、文化(あるいは大きな物語)への隷属、社会制度への隷属、テクノロジーへの隷属といった区分けが可能として、等しくそこからの自由が要請されるのか、それとも個別にパラメータが変わってくるのか、といったことが気になりました。そもそもそういう区分けができない可能性も含めて。

隷属状態からの自由、だと差し当たりは言えるんですが、 1.なぜ隷属状態から自由になるべきなのか 2.隷属状態とは何か は曖昧なままです。 それを考えるためのフレームワークの名前としてリベラルアーツを捉え直したいということなのかもしれません。

https://twitter.com/nnnnnnnnnnn/status/1522464418142965760

書きての指針

自分が読みたいと思うようなものを書く。

書きての指針2

素材の声を聞き、読者のことを考え、自分の引き出しを開ける。そして、ほんの少しのチャレンジを加える。

輝かなくても

「毎日がもっと輝くhogehoge術」みたいなタイトルを見かけると、いや別に輝かなくてもいいんだけど……みたいな気持ちになる系の陰キャ。

「特に目立つわけじゃないけど、それなりに充実感を持って一日を過ごせるhogehoge術」とかだったら気になるかも。売れなさそうだけども。

ビジネスにおけるブルーオーシャン

倫理的に危ういビジネスはいつでもブルーオーシャン。

解釈と曲解の線引き

解釈と曲解の線引きは、テキストに向き合った時間で考えられるのではないか。

熟睡、熟達、熟慮。

人生における大切なことかもしれない。

中途半端の意義

「中途半端」は、ゼロでもイチでもない態度として捉えることができる。

理想が消える世界

「いかにあるべきか」が語られなくなる世界。現在に閉じこめられる世界。

《自分が自分の先生になる》

《自分が自分の先生になる》というのは、本当に大切な指針だと思う。

採点者になり、その責を引き受ける、ということ。絶対的な根拠に依るのではなく、自分でその価値を認め、守るということ。

とは言え、他者からの価値を根絶するわけではない。つまり、自己の城に閉じこもるのではない。ただ、自分が認める価値の価値を認めること、その責を引き受けること。

むしろ、「自分が認める価値の価値を認める」ために他者は必要になるだろう。

自分が生徒であるからこそ、自分が先生になれる。生徒/先生のモデルを拒絶している状態では、そうした変身が起こりえない。

無駄への畏れ

「無駄への恐れ」にどう対峙するかは、価値の測定をやめることと、価値の物差しを増やすことの二つがあるように思う。

すべての差異が商品化される社会

すべての差異が商品化される資本主義の中にあって、よりラディカルな差異の追求もまた商品になってしまう、という状況をある人たちは絶望し、革命を求めたのだろうが、個人的にはそこで「逆に、そういう状況だからこそできること」という理路を持ち込んでみたい。

ライフハックのマインドセット

「ライフハック」という言葉は死につつあるわけだが、しかしそこにある反骨精神というか、DIYのマインドセットは大切にしていきたい。

逆に言えば、そういう精神性を抜いたノウハウ話は、飽和するのが見えているわけで。

共通点を見出す姿勢

人間は変化していくものだし、したがって言説も変化していくものだ、という前提がある上で、にもかかわらずそこに通底しているものは何かを汲み取っていく。

狂人のフリ

狂人のフリをすれば狂人に思われる、というような言説があるが、そもそも狂人とは狂人のフリをしている人という可能性から検討をはじめないと。

そこから「演技」が持つ可能性へと発展していくだろう。あと、「狂人」を「バカ」に置き換えれば、『勉強の哲学』になる。

一気にたくさん流そうとすると

ライティングフローが少しずつ流れつつある今日この頃。

一つ得た、大切な発見は、「一気にたくさん流そうとすると、むしろ詰まる」ということだ。これは胆に刻印しておきたい。

秩序の再構成

「ノートを不真面目に使う」という拙著のメッセージは「(与えられた)秩序からの逸脱」でもありますね。でもって、そこからの「(自分なりの)秩序の再構築」へにもつながっていく。

所与の規範性から抜け出て、別の規範性に入ること。結局そこでも規範性は存在するのだが、しかしステイティックなものではなくなっている。その変化が持つ意味は大きい。

先送りが作る歴史

“『いまはちょっと解決しないけど、もう一回話そう』と次の約束をして終わることは、とても治療的。”

「モヤモヤは僕らの心を変化させてくれる」臨床心理士・東畑開人さんに聞く、つらい心の守り方 | ハフポスト LIFE

刹那的でないということ。「今、ここ」(しかない)という時間感覚を延長させること。歴史をつくり出す、ということ。

教養とは何か

以前から、教養とは(この世界の)地図である、と考えていたが、『脳は世界をどう見ているのか』の「概念と思考は座標系に基づいている」を参照すれば、メタファー以上の何かと言えるかもしれない。