ポッドキャスト

第百一回:Tak.さんと仕事術歴について 作成者:うちあわせCast

Re:の動的さ

「Re」というものにある、再帰性とそこから生じる動的さ。

知的なものへのアンビエントな気持ち

「知的」なものに対してはアンビバレントな気持ちがあって、その辺を受け止める必要があるんじゃないかな、という気がする。

自意識

自意識を肥大化させるものと、自意識を相対化させて「みみっちく」するもの。

肥大化がある閾値を超えると、後者が受容されにくくなるのではないか。

これは昨日のポッドキャストの話につながるな。自意識を傷つけかねないものは慎重に回避される。

https://twitter.com/U1nakagai/status/1512062103833640974

来るべき倫理

物語と規範、あるいは来るべき倫理について。

ゆっくりを取り戻す

「時間がない」と感じているときほど、「ゆっくりを取り戻す」ことに意識を置いた方がよいかもしれない。

「わかった気になる」警報器

「わかった気になる」警報器みたいなのがあって、すっきりした理解に近づくとそれがブー、ブーと鳴りはじめる。

複雑な時代の進み方

複雑な地形はゆっくり進むのがよい。複雑な時代はどうか。

原稿とツイート

「原稿はぜんぜん進まないけど、ツイートはいくらでもできる」というのは、ツイートは「そのとき書きたいこと」を自由に書けるからだろう。

ということは、「そのとき書きたいこと」と原稿のテーマのチューニングが一つのポイントだということになる。

いかに諦観に至るのか

『ライティングの哲学』の読書猿さんによれば諦念が重要だと言う。それは同感する。問題はいかに諦念を捕まえるのか、という点。言い換えれば、「よし、諦念に至るぞ」という意志性と諦念は合致するのか、ということ。

はじめから諦念に至っている人にはこの手の悩みはない。きっとすらすらと書いて、締め切りに間に合うのだろう。しかし、何かを抱えている人間にその状態を目指しましょうと言っても、そう簡単にはいかないだろう。

締切などの有限化装置は、それが「他者」であるから(つまり、意志が及ばない存在)であるからこそ、諦念の獲得に役立つのだろう。では、そうしたものが存在しない執筆状況で、いかにすれば諦念に至れるのか、というのが課題として立ち上がってくる。

少なくとも、自分が何を(どのような規範性やこだわりを)抱えているのかを考える必要はあるだろう。この点で、すでに画一的な解決策などない、ということが見えてくる。少なくとも、具体的なレベルでは。

時間とプロジェクト

時間の経過による変化はプロジェクトを扱うときに生じる問題ですね。

re:visionはそういうアプローチでもある。いったん「そもそも何をしたかったのか」というvisionに立ち返る。

逆にそういう変化を徹底的に抑制するという仕事術(ないしは作業術)もありうるだろう。あまり楽しそうではないが。

企画案でも一ヶ月くらい触っていないと、ロストしてしまう。ただこの「ロスト」という表現自体が既に文脈を含んでいる(本線があるから脱線と呼ぶのと同じ)。実際は、カメラが動いてピントが合っていない状態という感じ。

ようするに短期で完遂できるアクションと長期的にコミットするプロジェクトでは適切なアプローチが異なるということ。よって、短期の手法が長期でうまくいかないからといって、管理や計画などまったく不要と断じてしまうのは早計だろう。異なるアプローチを用いれば良い。

間違えたくない気持ち

たぶん、安全でいたい、間違えたくない、失敗したくない、という欲求はすごく強くて、捨てたらいいじやんとは簡単には言えない。とはいえ、という感覚は残る。

階層思考

階層思考と階層的思考。

散弾論法

大きな主語と飛躍した論理で、広範囲に怒りと議論の混乱を撒き散らす。

時間のかかる問題

大が小を兼ねないように、効率性では時間のかかる問題を解決できない、ということがある。

企業人

企業戦士がいるなら、企業武闘家とか企業勇者とか企業魔法使いとかもいそうだな。もちろん、企業遊び人も。