発話のトップダウンとボトムアップとメッセージ

finalventラジオ・特別編「音声学的な話を少し」 2022/03/13 - YouTube

発話は、ボトムアップで組み立てられるわけではない。何かしら言いたいことがあり、それによって文が構成される。それを後から分析したら、分節的になり、階層構造が生まれる。つまり、ボトムアップ的に分析できる。

たしかに、単語を集めて言いたいことを作り上げていく、という感じでは話していない。「いいたいこと」という感じがまずあり、それに合うように言葉を選んでいく、という感覚。要素から組み上げる、というボトムアップではない。

そうしたとき、創造の世界でありがたがられているボトムアップはどう位置づけられるか。

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たとえば、KJ法は発想法と言われているが、上の文脈で言えば創造法かもしれない。最初に何かしら「言いたいこと」があるのではなく、むしろ集まった素材から、一つ上の階層で「言いたいこと」を見いだす、という過程だからだ。

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本を書いた後、「そうか、自分が言いたいことはこういうことだったのか」と思うときがある。上の話を引き継ぐと、その時点ではまだ明確になっていなかったメッセージを、執筆という過程を通じて明らかにしてく、発見の行為だと言えるだろうか。であれば、KJ法は発見法なのかもしれない。

KJ法はボトムアップで組み立てていくとは言え、自分が言いたくもないものを生み出すものではないだろう。自分の観念に符合するものが「見いだされる」はずだ。だとすれば、それは発話と基本的には同じなのかもしれない。ただ、そのスパンがひどく長い、というだけで。