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第八十三回:Tak.さんと本を書く難しさについて by うちあわせCast • A podcast on Anchor

利他としての積読

読めないほどの本を買って、積んでおくというのは、利己的というよりも、むしろ利他的な行動ではないか。

希少なポジティブさ

場末ブロガーでもポジティブなことを言うと結構ウケることがあって、それはつまり世の中においてネガティブな言説が溢れ返っているということなのかもしれない。

「問題だ!」「ダメだ!」「変えないと!」「これはマズい!」「悪、断じて悪!」みたいなことの言いやすさ、というのはたしかにあるだろう。それが言論空間を形成し、個人の世界認識にも影響を与えるのだとしたら。

おそらく何か違った力学が必要で、それこそ「小さな工夫」なのかもしれない。

日陰的工夫、あるいはケの過ごし方

整理整頓系の本をパラパラみたときに、めちゃくちゃ綺麗な部屋の写真があると「そうじゃないんだよな〜」というような間違ったお店に入ってしまった感が出てくる。

ノート術の本を見たときに、めっちゃ綺麗なノートの写真があって、「と、とける〜」というような日光に当たったドラキュラのような感じも似ている。

仕事術の本で、「年収○○万円を目指す!」的なバリバリのキャリア志向の考え方とぶつかったときも同様。

なんというか、もっと泥臭い。小さい工夫が見たいのだ。完全にうまくいっているわけではないですけど、なんとかやってます、的な工夫が。

小さな工夫とは、大きな物語に回収されない棘のようなものである、みたいなことを言ってみてもいい。

コンテンツにおける緩さや隙について

情報の隙をなくしていこうとすれば、ページ数が同じだとしたら情報はどんどん密になっていく。ある情報に関する情報が増え、読者の立ち入る隙がなくなる。視野は限定され、一つ上の話ができなくなる。隙のある話は、その逆のことができる。上に上っていける。

a cup of tea

リキッドなものを扱うには「容器」が必要になる。型、フレーム、コンセプト、枠組み。何と呼んでもよい。境目を規定するものがあって、ようやくそれを扱えるようになる。認識し、操作できるようになる。

フラットな並び

あらゆるものがフラットで大量に並ぶとき、それは重みづけを失う。つまり、価値が見失われる。そこからいかにして知的生産が立ち上がるだろうか(反語

手法に歴史あり

即効的なものを追求するあまり、時間/プロセス/歴史的なものが刈り取られてしまっているのだとしたら、それは実用的とは言い難いのではないか。

何かを為すとは、プロセスに飛び込むことだ。プロセスを亡き者にして、結果だけを提示するなら、泳ぎ方を教えないのと同じだろう。

ここで言うプロセスとは、手順を示すことではない。もちろんそれも有用だが、実際にそれをどう進めるのかという一つの具体をします、ということだ。

完成形までのプロセス

情報整理ツールの話、どん!と完成形を見せられて「ほらこれすごいでしょ」というの、たしかにすごいんだけど、個人的にはどういう道のりを経てその完成形にたどり着いたのかというプロセスの方に興味がある。

課題を見て問題を見ず

「木を見て森を見ず」というのがあるけど、「課題を見て問題を見ず」みたいなのはたしかにあるように思える。

基礎の情報が足りない

基礎的な情報の普及が足りていない状況はあるのだろう。情報それ自体はたくさん存在していても、それが浸透していない、というような。

情報を有している人にとって、それが基礎的であるがゆえに無意識下に追いやられているという点と、仮に意識されていても報告価値を感じ難いし、アクセス数を集めようとするならなおさら放置される点があるだろう。

目新しい情報を取っ換え引っ換え摂取していっても、基礎的なものが欠落していると、上滑りしてしまう部分はきっとあるだろう。

一冊の本の限界

どうがんばっても一冊の本で伝えられる情報には限りがあるわけだから、その本の「外」に向かえるような情報は添えておきたい。でもって、それは自分が参考にしてきた情報の開示でもあり、そうした情報を生み出した人への敬意でもある。つまり、いろいろ要素がある。

根を同じくするさまざまな力

物語り直す力、価値を見出す力、未来を描く力、他者を慈しむ力、話し合う力、開かれた問いに向き合う力。

たぶん根源は同じ。

吟味しておきたい言葉遣い

「ちゃんと」「しっかり」「きちんと」

比喩

生きた比喩、死んだ比喩。

### 消極性のある外側への志向

常に外側に向かう思想。しかも、「できれば内側にいたいけど、どうも無理なので仕方なく向かう」、という消極性のある外側への志向。

エピソードの強力さ

エピソードというのは非常に強力で、ある哲学者の思想がぜんぜん理解できなくても、彼が時間に几帳面で毎日同じ時間に散歩していて、彼の姿を見て村の人が時計を合わせていた、というエピソードはノートに書かなくても頭にスッと入ってくる。

気がつきにくいこと

繰り返しの日常では、それと気がつきにくいが、理解は「わからない」がデフォルトで、実行は「難しい」がデフォルト。

ブログとお伴の言葉

Amazonで「ブログ」と入れると、第一候補が「稼ぐ」なのって、まあすごいよな。

「走る」の第一候補が「金メダルの取り方」くらいにすごい。

お金を稼げないと、自分の文章を書いてはいけないみたいな気がするし、お金で釣らないと、文章を自発的に書く人はいないのだと認定されているような感じもする。恐ろしいほどの資本主義漬けだ。

アンビバレントさ

一つだけ言えることがあるとするなら、アンビバレントさを毛嫌いしないこと。でないと、世界が嫌いになってしまう。

ニュースはわかりやすく世界を切りとってくれる。そればかり摂取していることのある種の弊害。アンビバレントの疎外。

贈与はすれ違い続ける

贈与はすれ違い続ける。いや、循環的な贈与は、いつもすれ違ってしまう。すれ違うからこそ、それは循環していく。

情報整理ツール論の一テーゼ

情報整理ツール論:個人の情報整理ツールの構造は、その個人が作り上げる必要がある。

これが第一テーゼ。ここから話が広がっていく。

情報の贈与性

情報の贈与性について。あるいは、知の営みの外部性について。

デジタルツールのマインドセット

アナログのメタファーに縛られないでデジタルツールを考えることと、人間の認知の限界を加味してデジタルツールを考えること。