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第八十回:Tak.さんとるうさんとかーそる次号について by うちあわせCast • A podcast on Anchor

BC018 『WILLPOWER 意志力の科学』 - by goryugo - ブックカタリスト

自分の物差しが他者を測る物差しになる

たとえば専門的に深掘りせずざっと読み流しただけで知識マウンテンを築いている人がいるとして、その人には専門家がどれほど深い知識を有しているかを推測することはひどく難しい作業になるのだろう。

killする感覚

Finderを立ち上げ直すときに、一回killする感覚。途中までの原稿を、ゼロベースで書き直す感覚。

たとえば、既存の項目を再配置すればいいだけなはずなのだが、こういう余白を作らないと着手できないときがある。もちろん、そこには理由があるのだろう。

Image from Gyazo

執筆のプロセスがうまく進んでいないとき、とくに「書くこと」はあるはずなのに停滞しているときは、こういう余白を挿入したり、あるいはゼロベースで書き直すのが、個人的には一番のハック。そういうライティング・ハックもどこかでまとめたいですね。

祈りと贈与

祝福とは祈りであり、それはたぶん「言葉」ではないのだろう。

近内悠太さんはTwitterを使っています 「山口周さんもおっしゃるように、呪いは思考と行動の可動域に制限をかけるものの総称です。そして、考えなければならないのは、「呪術ならば言葉を使う」の逆の命題である「言葉ならば呪術である」の可能性です。もし、この命題が真であるならば、「祝福の言葉」というのは、形容矛盾となります。」 / Twitter

iPadとアウトライナー

iPadとアウトライナーについても論考が必要である。

アプリについて、画面サイズやキーボードについて、手で操作できることについて、ディスプレイとの距離感について。

読書感想文を情報カードで補助しながら書く

すなさんはTwitterを使っています 「息子(小2)の読書感想文の指導に難航。文章の初心者に原稿用紙で書かせるなんて無理ゲーやな。ワープロかアウトライナーを、いや、ただのテキストエディタでもいいから使わせてほしい。」 / Twitter

情報カードの出番。

その1.たくさんの白紙のカードを準備する(5x3くらいでよい)

その2.サポートする人が読書感想文の素材を引き出すようなトリガー・クエッションを1カード一つであらかじめ書いておく(質問の粒度にもよるが5~10個程度)

その3.書いたカードは伏せて山にしておく(ここまでが準備)

その5.クエッションカードを一枚だけめくり、そのことについて思いつくことをカードに書いてもらう。たくさんカードが増えると楽しいゲーム感があるとよい。書けないカードがあるならばパスする。

その6.すべての山札をめくるまでそれを繰り返す。一通り終えたらパスしたカードをもう一度検討する。

その7.そしてたくさんの素材カードができたら、それらをレゴブロックみたいにして、「話を組み立て」いく。サポータも協力して、どうしたら楽しい「お話」ができるのかを一緒に考える。使わないカードがあっても構わないし、並べ替えながらカードを書き足してもよい。

以上。

情報カードじゃなくて付箋でもできなくはないのだけども、裏返して山札を作る、みたいな操作が付箋では若干難しい。つまり、付箋は情報性が高まる分物質性が少し落ちているわけだ。

コスパ良い成果の出し方

コスパよく、つまり速攻かつ低コストで効果を上げるなら、コンテンツはコピペか罵倒(あるいはその両方)にたどり着くのは避けがたいのではないか。

ツール理解の文脈

何かしらのツールが、ある特定の使い方(用途・方法・ノウハウ)の文脈でしか理解されていないとしたら、それはやっぱり不幸なことであるように思う。

「方法」の提示が伴ってしまう規範性をいかに逸脱するのか。

提示される「方法」が素晴らしいものであると説得されればされるほど、「その方法の通り」にやるべきだ、という気持ちが生まれる。その気持ちが実践者を苦しめる。

シンプルではない倫理

「倫理は正しいか間違っているかの2択しかない」というツイートを見かけて、ちょっとゾッとした。

倫理がそこまで単純なものであったら、私たちの生はもっと快適だっただろうか。

タスク名の文化的な違い

英語圏と日本語圏におけるタスクリストに書かれるタスク名の形式的違い、みたいな研究があったらきっと面白いだろうと思う。

答えでも、問題でもないもの

答えではなく、問題でもないもの。あるいはその両方であるものを提出したい。

やってはいけないこともある

『仕事は楽しいかね?』のマインドセットは基本的に共感できるのだけども、あの本に書かれていないことが一つあって、それは「遊び感覚でいろいろやるのはよいにせよ、やってはいけないことがある」という点。むしろ、無軌道に「いろいろ」やっていると地雷を踏んでしまう可能性も高まってしまう。

クリティカルな

クリティカル・シンキングとかクリティカル・リーディングとかはよく聞くけど、クリティカル・メイキングはあんまり聞かないな。

ホワイトボードに書く

「ホワイトボードに書く」とき、僕たちはそこで何をしているのか、ということを探究していくとよいのかもしれない。

「アイデアを出す」や「アイデアを整理する」も、その含意は一意ではないところがある。

書くことのさまざま

どうしても仕上げなければならない単発の「書くこと」をdoneすることと、生活/人生の中に「書くこと」を入れ込んでいくことはそもそも視点が違うと言える。

前者はテクニックだけで乗り切れるかもしれないが、後者はそうはいかない。その上で、さまざまな要素が互いに関係してくる。

### バイアスのない人間

バイアスのない人を目指すと虚無にたどり着くだろう。

頭を動かすこと

体を動かすことで体の動かし方がうまくなる。それと同じで頭を動かすことで、頭の動かし方がうまくなる。

本を読んで頭の動かし方がうまくなったのだとしたら、まさに本を読みながら頭を動かしていたからだ。本から知識が流れ込んできたからではない。

とは言え、体を動かすときにイメージが有効に機能するように、頭の動かし方にだってイメージは大切だ。ある種のメンタルモデルが、知的作用を助けることは間違いなくある。が、イメージだけでうまくなることはないだろう。

世界は無根拠である

自分がやっていることの無根拠性に耐えられないとき、起こることがあるのだろう。

しかしながら、世界はただ在るだけなのだ。そこに根拠はない。

上品下品と、品があるないはパラフレーズなのか、それとも品に関する別軸のパラメータなのか。

足早な解説

自分の理解が進むと、どうしても「まとめて」解説をしたくなるが、だいたいそれは早足である。

マナー講師の歴史

そういえば、「マナー講師」の歴史はどこまで遡れるだろうな。言葉の意味を広くとったとして。

積み重なるもの

奇抜な方法を、手を替え品を替えとやっていっても、積み重なるものがなければ、という感じはする。もちろん「積み重ねたくなんかないんだ」というスタンスはありうる。

ライフハックについて

「2021年ライフハック会議」とか、そういうの面白いんじゃないかな。皆で集まって「で、結局Webクリップどうしてます?」みたいな話をするの。

ポスト・ライフハックとしてのライフハック。2021年にライフハックについて語ることは、何を意味するのか。

少なくとも二つの軸があるだろう。「ライフハックとは何だったのか」「ライフハックとはこれから何であるべきなのか」。

ゲームの慣性

あるゲームで「うまくやること」を広める行為は、そのゲームそのものを存続させる力を持つだろう。

脱成長とは何か

結構真剣に「脱成長」という概念がわからない。それが資本主義に対峙されると混乱が深まる。

成長を「脱して」どこに向かうのだろうか。

競争

目の前の問題を解決する(あるいは理解する)のではなく、どっちが苦労しているか競争がはじまるのは、決定的に何かが不足しているのだろうし、それは「知識」でないことはたしかだ。

何度も言う

インターネットでは(大切なことなら)同じことを何度も言ったほうがよい、というのが一つの教訓。インターネットに限らないかもしれないが。

ツールの影響を受ける私たち

たとえば、チェックボックスを使ったタスク管理でも、私たちはそこにある「道具」の影響を受ける。ゼロベースで「そもそもタスクの状態にはどれくらいのバリエーションがあるか」とは考えずに、そこにあるツールの設定を認知的デフォルトとして受け取ってしまうところがある。

だからこそ、何かしらの導入のために「道具」が役立つ反面、それがその人の「やり方」を長期的に固定してしまう恐れもある。