2021年06月05日までのツイートノート
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第71回:Tak.さんとレスト管理と複数プロジェクト問題 by うちあわせCast • A podcast on Anchor
BC013『コンヴァージェンス・カルチャー』 - ブックカタリスト
単一原理性への抗い
最近の自分の関心は、個々の原理よりも、単一の原理性に基づいてすべてを「処理」していこう、という姿勢への抗いに向いている節がある。
構造がシンプルなツール
WorkFlowy,Scrapbox,プレーンテキスト、というもろもろ自分の手に馴染んでいるツールを考えてみると、ツールの構造が極めてシンプル、という点が挙げられそう。
可視化の活かし方
可視化は不可視化とセットになってはじめて効果を上げる。可視化が重要だ、という点だけを考えてしまうと、「もっと見えるように、もっと見えるように」となって、結局何が重要なんだかさっぱり、ということになりがち。
神が宿る細部
原稿を読み返していると、何か変な部分にぶつかる。文法的に間違っているわけではないし、内容に誤りがあるわけでもない。そのまま提出したところでクオリティーが激落ちするわけでもない。でも、読んでいて何か変だなという感覚はしっかりある。神が宿る細部とは、そういう部分ではないかと感じる。
想像力をめぐる闘争
昨今のいろいろな事柄は、想像力をめぐる闘争なのである、という話をどこかで書いてみたい。
物語を読み替える力、自分の物語を語る力、価値を見出す力、未来を描く力。それらは想像力の系譜にあるし、なんならそのものとすら言えるかもしれない。
人を閉じこめる連帯
当人にとって心地よいことだが周りから孤絶するような言説を投げ、それによって生じた孤絶を閉じたコミュニティー内で相互承認し合うことで、その場所こそが「自分のための場所だ」と感じさせるようなモデルがあるわけですね。
その心地よいことは、基本的に自らへの批判性の完全なる払拭なので、必然的に「本当にこの場所が自分のための場所なのか」という問いも封殺される。その意味で実に「調和」的な閉じ方をしている。
これも程度の問題で、一時的な雨宿りとしての心地よさはたぶん大切で、だからこそいかに「ひらく」への道のりが意識されているかが明暗を分けるのだろう。ひらいていることではなく、「ひらく」に向けてひらかれている、というような。
直感が重要という理屈
直感が重要と言う人が妙に理屈っぽい現象は一体何なのだろうか。一種のトロイの木馬なのだろうか。
苦労を買うこと
苦労は「買って」はいけないのではないだろか、という気がする。買うのではなく、それが否応無しに自らの元に訪れるという体験こそが、一番の価値ではないだろうか。
越境できる人の能力試案
自分の先入観を疑うことができる、人の話を聞くことができる、素早く試行しそこから考えることができる、とかかな。
https://twitter.com/amane_sawatari/status/1399888869609201664
頑張る能力とその結果
頑張る能力が遺伝由来だとして、その人が何年何ヶ月頑張った、という結果はそれと同値と言えるのだろうか。
コンセプトという幹ができると、そこから枝や実が伸びてくる。というか、そういう性質を持つ情報体を「コンセプト」と呼ぶのだろう。
publish慣れ
なんというか、「みんな自分の考えを記事に書こうぜ!」とか「Scrapboxでわいわいやろうぜ」という呼びかけにすぐに乗れる人ってやっぱり限定的なのだ、というあたり前のことを最近確認していて、チャットに書き込む行為あたりから「インターネット慣れ」していくことが必要なのだろう。
インターネット慣れというか、publish慣れなんだけども、しかし応答することも含むから包括的にインターネット慣れと呼んでもよい気がする。
BBSとHTML日記をくぐり抜けた経験は、別段「あたり前」ではないのであった。
あまりに有名な古典
あまりにも有名な古典は「まあ、別に今読まなくていいか」フラグが立ちやすいのであった(「今」にアクセントがある)。
習慣が十割だとしたら
習慣が10割であるときの、自由意志の余地はどのくらいだろうか。それとも「自由意志」という習慣を見定めるのだろうか。
信じること
自分の「好み」(なんなら規範性)をいったん中断できる。自己の狭い制約を、越境できる。閉じている中に、開かれた場所がある。
自己の理性的な判断を超えうる「信じる」という心の動き。
https://twitter.com/iketanikazuhiro/status/1399223726038650883
内と外に働くフィルター
規範性の強さは、当人のフィルターの機能であり、内的なものだけでなく外的なものを処理するにも立ち現れるし、心の理論においても登場する。
外側の物語と内側の物語は呼応する。
貧しくなること
たとえば、ワクチンが国内で製造できていたならば量の確保の安定性もあるだろうけども、それ以前に日本に持ってくる分を別の国に回せたわけだからして、それ自体が国際貢献になっていただろうけども、そういうこともできない「先進国」になってしまったということなのだろう。
でもって、そういうことも総括されないで日々は過ぎ去っていくのだろう。
「貧しくなってもいいじゃないですか」的なことを言っていた思想家は、こういうのをどう考えているのだろうか。
この指とめる
「この指とめる」というジャッジメントは、炎上を誘発する記事やらPRや薬事法とかが絡みそうな怪しげな記事を投稿する指をとめるのとセットでないと説得力がなさそうではある。
白黒以外の問題の在り方
程度の問題、速度の問題、規模の問題。
考えにおける不自由さ
閉じこもって考えると、前提となる部分に誤謬が含まれていてもまず気がつけない。それがどれほど大きい誤謬であっても同じ。「考え」が発動するときにはもうその前提が着地している。
ひとりで考えることは、制約がないという意味で自由なのだが、前提に制約される点で大きな不自由を持つ。
Author rashita
LastMod 2021-06-05 (a846031)